映画感想:『お嬢さん』の鑑賞は145分の濃密な時間
なかなかエゲツないエロと狂気。鑑賞前の本作のイメージはそうだった。
ウェールズの作家サラ・ウォーターズの「荊の城」を原作として、作品の舞台をヴィクトリア朝から日本統治時代の朝鮮に変更をしている。
その変更が功を奏し、本作特異なアジアの妖艶な雰囲気を醸成している。
145分という長い上映時間は三部に分かれており、一部は侍女スッキ、二部はお嬢さん秀子、三部は第三者の視点から描かれている。
第一部終了時は「え、こんな話なの?まさかこれで終わりじゃないよね?第二部第三部でとんでもないことが起きるんだよね?」と期待と失望感の間をいったりきたりしていたが、見事に振り切ってくれた。
第二部以降の衝撃は強い。
鑑賞前のイメージ通り、エロティック、かつサイコティックなストーリー。
ただ本作の良いところはそれが目的なのではなく、ストーリー上必要な要素としてとエロティック、サイコティックな要素が盛り込まれているのである。エンターテイメントとしても十分楽しめることができ、クライマックスではカルタシスを感じるほど。
美術と演技も非常に良い。
中心となる部隊である屋敷は、和洋折衷の妖艶な雰囲気を醸し出しており、映画全体の空気感を形作っている。
また女優の演技も素晴らしい。お嬢様の、ピュアさとずる賢さに、少女と大人に揺れ動く、アンビバレンスな色気のある表情。スッキの、騙そうとする詐欺師としての心情から侍女として性の対象としての純粋な好意への心情の移り変わり、それを表す表情。
本作を分類するとしたらなんだろうか。サスペンスか、ラブストーリーか、ポルノではないことは確かだ。
多くの人が感想に書いているようにデートで見るのには適さないが、顔をそむけたくなるがしかし見ていたい、そんな上質なエンターテイメント作品を観たい人におすすめできる作品だった。
映画感想:『ラ・ラ・ランド』は、あえて言うが「がっかり」だった
La La Land (2016 Movie) Official Trailer – 'Dreamers'
鬼気迫る作品である『セッション』がとても良かったので
「セッションはこの作品(ラ・ラ・ランド)を作るために作った」
というほどの本作はどれだけのものだろうと期待値が高い中での鑑賞。
売れない女優であるミアと自分の店を持つ夢を持ちつつくすぶっているセブのアメリカンドリーム、恋物語。要所に挿入される音楽/ダンスに違和感はなく、ミュージカル映画でありつつ、映画のストーリーも楽しむことができる。本的には「陽」の映画なので、目を背けたくなるようなシーンもなく安心して観ることができる。
各方面で絶賛なのもうなずける。ミュージカルシーンは名作のオマージュがちりばめられている。
雨に唄えば、スイート・チャリティ、バンド・ワゴン、パリの恋人、シェルブールの雨傘。。
ミュージカル映画好きであれば、映画好きであれあるほど、楽しむことができる。
チャゼル監督もそうなのだろう。本作の原案は2010年からあったというのだから、
彼が25歳のときに考えられたものだ。若い時分から考案されていたということからも、彼の思い入れが伝わってくる。
しかし、言葉を選ばずに言えば「がっかり」だった。
期待値が高すぎたということがあるのかもしれない。『セッション』の延長を期待してしまっていたということがあるのかもしれない。ただ、少しストレートすぎて、まぶしすぎて、置いてけぼりにされている気分を感じてしまわざるを得なかった。本作を一番楽しみながら鑑賞することができるのは、古くから業界にいる映画業界の人であろうし、彼らが評価をするのもうなずける。だが、自分が映画に求めていることと少しずれていた、良い悪いではなくそういうことだ。
私が映画に求めていることとして「境界を越える擬似体験」が占める割合は大きい。普段暮らしている、仕事をしている、友人、同僚、家族と話を
している中では得られない感覚/考え/価値観を得ることで、映画鑑賞前にはなかった新しい世界の感覚を得ることを求めている。
だから本作が悪いということではない。エンターテインメントとしては珠玉の出来だと思う。鑑賞している時間は幸福な時間だった。
オスカー受賞のチャゼル監督は自作はどんなものなのだろう。『ラ・ラ・ランド』のようなストレートな人間賛歌の作品か、あるいは狂気性を帯びた芸術の世界『セッション』のような作品か。何にせよ鑑賞したいと思っている。
映画感想:『湯を沸かすほどの熱い愛』で号泣
映画館で号泣してしまった。
「宮沢りえ演じるお母ちゃんが、ガンで死んでしまうのだが、死ぬまでに湯を沸かすほどの愛を周りの人に与えてくれる」そんなストーリーはタイトルと予告を見ればわかる。
ただ本作はそんな言葉だけで済ますことができないほど、単純な感動モノの映画ではなかった。
愛情 愛情 愛情
1つに、本当にお母ちゃんの愛が深い。何度泣かされたことか。
1番記憶に残ったシーンは冒頭10分ぐらいのシーン。イジメられて絵の具まみれになった娘にかけた最初の言葉。「安澄、何色が好き?私は赤が好き!」冒頭のこのシーンで感じた。ああ、この映画は泣くと。
涙をこらえる表情
2つ目、湿っぽいシーンがないこと。やっぱりお母ちゃんは死ぬのだけど、家族が悲しい顔をするシーンがない。皆、普通の暮らしをしながら、お母ちゃんをゆっくりと見送る。唯一あるとすれば、死ぬ間際のお母ちゃんの前で、娘の安澄が泣きそうになるシーンがある。ただそこで安澄はこらえる。数秒噛み締めて、その後振り返って優しいたくましい笑顔。号泣した。強くて優しいなあ。そしてそんな安澄を強くしたのはお母ちゃん。母親冥利に尽きるだろう。
実はホラー映画?!
3つ目、やはり最後のシーンだろう。よく考えればホラーなんだが、まあ俗世間の欲にまみれたある意味離れたこの映画の世界だとすっきりしたラストだと思える。監督の好み/こだわりが透けて見えるけれども、いいオチだったのではないかと思う。
お母ちゃんと母親のくだりや、血縁関係がぐちゃぐちゃな点などツッコミポイントはいくつかあったけれども「そんなん、まあいいでしょ!」と思えるような、スカッとしてかつしんみりする良い映画でした。
映画感想:『エクス・マキナ』はタブーを考えさせてくれる
製作費約14億円と低予算ながら、2015年アカデミー賞の視覚効果賞を受賞した話題作。
低予算だとは思えない独特の雰囲気があり、人里離れた山奥の設定ながら近未来を感じさせる。
ストーリーとしては、特段派手な演出(人間vsAIの知能戦など)があるわけでない。
本作で突出しているのは、アリシア・ヴィキャンデル演じるエヴァ(AI搭載人型ロボット)の不気味さだろう。途中までは人間に従順で成長段階の、ある種子どもや小動物に対する愛しさと同じような感情を抱かせるようなキャラクターなのだが、終盤では一変する。
何が一番おそろしいかと言うと「人間の論理が通用しない」ということだと思う。
エヴァ開発者のケイレブはそれをある程度理解していたため、エヴァが外に出れないよう隔離している。
一方で招待者のネイサンはそのことを理解しておらず、エヴァに特殊な感情を抱いてしまった。しかしエヴァは独自の論理で動いているため、ネイサンが「エヴァが考えているであろう」ということに沿った行動をしない。
そしてAIに裏切られるクライマックスに向っていく。
『新・リーダー論 大格差時代のインテリジェンス(著:池上彰・佐藤優)』にこのような一節がある。
”社会にはタブーも必要です。…ある種のタブーが存在する社会の方が良い社会なのです。”
”「生命は何にも代えがたい」という戦後日本の生命至上主義は、理屈を超えたものです。いわば一種のタブーです。”
もちろんAIには、こういった「論理を超えたタブー」を自ら導くことはできない。
AIの元となる数式にあてはめることができないものだから。
本作は、そういった「人間の論理やタブーとは違う原則でAIは考え行動する」ということを、
余計な要素を排除したストーリー、静かな映像美で実感させてくれる作品だった。
映画感想:『ルパン三世 カリオストロの城』を大人が見ても楽しめる理由
英語学習のためにhuluに登録したのだが、『ルパン三世 カリオストロの城』が目にとまったのでつい観てしまった。
最初に観たのは、子どもの頃、小学生だっただろうか。昔は放送の多かった地上波の映画放送だった気がする。その時は、ルパンの活躍を見ていて楽しかった。
悪い伯爵と美しいクラリス、そして自由に活躍するルパンとその仲間。子どもにもわかりやすい展開。そしてディズニー映画等で馴染みのある「お姫様を悪役から助け出す」というストーリー。
TVにくぎ付けになって見たものだった。
大人になった今、もう一度この映画を観た。大人になっても楽しめる映画だった。
前述のルパンに登場するキャラクター、展開、スト―リーはもちろん面白い。何度見てもワクワクする。
ただ子どもの頃は気にしなかった点が、この映画を今観ても面白くさせていることを感じた。
それは音楽だった。
『ルパン三世』の音楽は、そのテーマをはじめとして大野雄二氏が作曲をしている。氏は、ジャズピアニスト、作曲家、編曲家で、ルパン他、映画やドラマの音楽を数多く手がけている。本作ではその音楽が、良く聞こえた。
まず主題歌の『炎のたからもの』
炎のたからもの LIVE ver. "Lupin the third"
劇中の早い展開とは違い靜かで、一方で力強い曲となっている。
そして個人的に特筆すべきだと思っているのは、ルパンがオートジャイロを奪うシーンで流れる『サンバ・テンペラード』である。
Lupin the 3rd - Samba Temperado [ Live ] - Yuji Ohno
決して明るい曲ではない。リズミカルではありつつも、JAZZ特有の哀愁がただよう曲となっている。この曲ような音楽が使われることで、本作は大人も楽しめる映画になっているのだと思う。
ルパンは、子どもにとっての「ヒーロー」ではない。クラリスの言うように「おじさま」という大人なのである。そう感じさせるのは大野雄二氏の音楽であると考えている。
氏は昨年末、自身のバンド「Yuji Ohno & Lupintic Five」を解散した。LIVE活動を辞めるということではないようだが、一度はLIVEで『サンバ・テンペラード』を聞いてみたいものである。
Snapchatが日本の若者の中で流行ってきている件
先週、10代女子大生(年の離れた妹)に「近頃の大学生のSNS事情」を聞く機会があった。
社会人以上の層とは、少し活用しているSNSが違うようである。
▼Twitter:使っている人が多い
⇒想像していた通り。時間がある大学生が、ある程度閉じたネットワークの中でのコミュニケーションツールとして活用しているのだろう。Twitter広告の獲得層も長らく若者中心である。
▼Facebook:使っている人と使っていない人がいる
⇒パブリックな世界とつながっておらず、近しいある程度閉じたネットワーク内で活動をする大学生には、Facebookという公的ツールが必要ないのだろう。特に外に目を向けたり、就活をしたりすることの少ない大学1,2年生は、LINEやTwitterで事足りるということかと思う。
※社会人、特にネット界隈の人間にとっては、プライベートでも仕事においてもFacebookはインフラと化している認識
▼Instagram:女子大生を中心に使っている人が多い
⇒これも想像していた通り。Facebook広告とInstagram広告を比較しても、Instagram広告の方が若いユーザーの反応が良い傾向がある。
▼Snapchat:使う人が増えてきている
⇒まさかSnapchatの話が出てくるとは思っていなかった。最近大学生の間で流行ってきているらしい。社会人以上の人から「Snapchatを使っている」という話を聞いたことがない。どういうふうに使うかというと「非常にどうでもいいことを友達に伝える」時に使うそうだ。時間のある若者らしい使い方だと思う。新しいものに飛びつきやすい若者の性質を考えると、2016年、さらに利用ユーザーが増えるのではないだろうか。
Snapchatに興味がわいたので調べてみた。
Snapchatとは?
下記2点を特徴としたアメリカで誕生SNSアプリである。
①写真や動画(Snap)を個人かグループに送ることができる
②送られたSnapは、閲覧開始から最大10秒で消えてしまう(見れなくなってしまう)
本国アメリカでの利用率
では本国アメリカでのTeenagerSNS利用状況はどうだろうか。
このデータは、利用率ではなく「最も重要なSNSは何?」という調査の結果だ。
Survey Finds Teens Prefer Instagram, Twitter, Snapchat for Social Networks - Digits - WSJ
Teenagerの活用するメディアとしてはInstagramが圧倒的に支持されていることがわかる。
一方でFacebook,Twitterは年を経るごとに、若者にとっての重要度が下がってきているようだ。
ではSnapchatはどうかと言うと、2015年春から2015年秋にかけて支持率が一気に高くなっており、Twitterと1%しか変わらないところまできている。次回の調査ではInstagramの次ぐSNSとなっているだろう。
なぜそこまでの支持を得られているのか
若者のコミュニケーションが「くだらない(=アーカイブする必要がない)ことのやり取り」を中心に成り立っているからだろう。そういうやり取りを通してお互いの存在を認識し、時間を共有する、孤独感を紛らわす。くだらないことはたいてい後から見返しても面白くないので、アーカイブされなくても全く問題がない。
他の年代にも流行るのか?
流行らないだろう。「くだらない(=アーカイブする必要がない)こと」によるコミュニケーションは、時間のある若者特有なものである。より機能的なコミュニケーションを求めるようになる大人にとっては、Snapchatのようなツールを使う場面は少ないように思える。
マネタイズ
元々マネタイズを行っていなかったSnapchatだが、昨年からマネタイズの動きを進めている。
①リプレイ:アプリ上で受け取った“消える写真”や動画のリプレイ(二次再生)が有料で可能に(3回分で99セント)
②レンズ:セルフィー(自画撮り)の加工ツール(フィルターや、グラフィックス、サウンド)の提供(99セント~)
昨年から始まったばかりのこのマネタイズ。通期でどのぐらいの収益が得られるか、どんな数字が出てくるかが楽しみである。
昨年後半から日本の大学生の徐々に広がりつつあるSnapchat。今年大きくスケールするのか、それとも一部の人たちに一時的に流行るだけなのか。
同行を注視していきたい。
新・映像の世紀『第四集:世界は秘密と嘘に覆われた』
1/24(日)に放送された冷戦期の回を見た。
秘密と嘘、その原点
主題が表すように、冷戦とは、スパイ戦争,情報戦争でもあった。
アメリカ国内にソ連のスパイがおり、逆に、ソ連内にアメリカのスパイがいた。
隣人がスパイかもしれない、自分が監視されているかもしれない、人を信じることができない精神的につらい時代であったと思う。
冷戦後のドイツでシュタージ(東ドイツ秘密警察)の監視ファイルが公開され、妻がスパイだと密告した(妻は6年間投獄)のが夫だったと判明するなど、家族の絆がひきさかれた事実は何とも痛ましい。。
また何がそのような秘密と嘘に覆われた時代を作ったのかというと、同シリーズ『第三集:時代は独裁者を求めた』が思い起こされる。
第一次大戦後に国際連盟は「宣戦布告」を定めた。”紛争当事者である国家が相手国に対して戦争行為(hostilities) [1] を開始する意思を表明する宣言”のことである。
ただ、その後の第二次大戦ではその宣言は破られることとなる。ヒトラー率いるナチスのドイツ軍は、独ソ不可侵条約を破ってソ連に侵攻するなど、ほとんどの戦線において宣戦布告を行わなかった。
第二地大戦後、国際連合にて宣戦布告なき戦争を実質的に根絶したが、第二次大戦時の記憶新しく、国の間の取り決めの信頼性が落ちていたのかもしれない。
「冷戦」?いや戦いは行われていた
冷戦というワードは物理的な戦争は行われていなかったイメージを誘発するが、実際には多くの代理戦争が行われていた。
▼双方が現地勢力を支援
アンゴラ内戦、ソマリア内戦、カンボジア内戦、キプロス紛争
▼一方が現地勢力を支援
亡命キューバ人、ニカラグア、チリ、開発独裁の諸国
▼国家間紛争でそれぞれの国家に支援
中東戦争、印パ戦争、エチオピア・エリトリア国境紛争
▼戦いはなかったのもの、国が分断
東ドイツと西ドイツ
史実として上がるものがこれだけある。決して物理的な戦争が行われていなかったとは言えないだろう。
冷戦というワードはミスリーディングであり、代理戦争期と呼ぶべきだと個人的には思う。