映画感想:詩とは何かを知りたければ『パターソン』を観るべき


『パターソン』本予告 8/26(土)公開

普段の生活で詩を読むことはあるだろうか。
小学校、中学校の国語の教科書に載っていて、なんとなく勉強をした人がほとんどではないだろうか。
些細なことをなんでこんな複雑で大げさな表現をするのだろう、そう思っていた。

本作は、そんな詩の本質を知ることができる映画だ。



まず作品の中身を紹介したい。

何も起こらない映画である。

「いやいや、何も起こらないことはないだろう。間違って公開されてしまった作品ならわかるけれども、海外で作られて日本で公開されているほどの映画がそんなことはないだろう」

そう言われても、本当に何も起こらない。


スター・ウォーズシリーズでカイロ・レンを演じていることが有名なアダム・ドライバーがバスの運転手パターソンを演じている。彼はあまり起伏のない人物だ。

平日は、毎日ほぼ同じ時間に起き妻にキスをする、同じ朝ご飯(シリアルに牛乳)を食べ、日中はバスを運転し、夜はご飯の後に犬の散歩に出かける。その途中で常連のバーに寄り、ビールを一杯飲むのが彼の楽しみだ。

少し変わった妻(モノクロの草間弥生風な文様を好み、部屋を勝手に装飾する)がいたり、その時々で人と会って話をしたりはするが、ルーティンに変わりはない。

彼の表情にも大きな起伏はない。

そんな毎日、月曜日から月曜日までを映したのが本作だ。


そして彼には趣味がある。

詩を書くことだ。

自分のバスに乗り込んで発車を待つ時間、1人で過ごす昼休みの時間、家に帰って夕ご飯までの時間。
隙間時間で彼は詩を書く。

『Love Poem』

We have plenty of matches in our house.
We keep them on hand, always.
Currently our favorite brand is Ohio Blue Tip,
though we used to prefer Diamond brand
That was before we discovered Ohio Blue Tip matches.
They are excellently packaged, sturdy
little boxes with dark and light blue and white labels
with words lettered in the shape of a megaphone,
as if to say even louder to the world,
“Here is the most beautiful match in the world,
its one-and-a-half-inch soft pine stem capped
by a grainy dark purple head, so sober and furious
and stubbornly ready to burst into flame,
lighting, perhaps, the cigarette of the woman you love,
for the first time, and it was never really the same
after that.
All this we will give you.”
That is what you gave me, I
become the cigarette and you the match, or I
the match and you the cigarette, blazing
with kisses that smoulder toward heaven.


何の変哲もない日常を切り取った詩である。

オハイオブルーチップスというマッチがお気に入りで、昔はダイアモンドブランドというマッチが好きだった。
その炎は君(妻)で自分はタバコ、あるいは逆。プロットで言うとそんな簡単なものだ。マッチがあって妻のことを考えただけ。ただ彼は、それを彼だけの言葉で豊かに表現している。

パターソンは詩という表現を通して、ルーティンで構成された自身の人生を豊かなものにしている。
外からどう見えるか、ではなく、自分がどう感じるかということを大事にしている。

そんな詩が10本弱、作中で表現される。

起伏のない日常と詩。それらをセットで、繰り返し、見て聞くことで「詩とは何か」ということを少し感じることができる。

詩とは、普段見過ごしがちな些細で、一方で大事なことを、言語化するプロセスを通じて感じることではないだろうか。


それを映画で表現するには、派手な表現はいらない。

赤と青のボディースーツを来た人が、手から糸を出している姿は日常ではない。そこに詩は必要ないのだ。「Fantastic!」という言葉で十分だ。

本作は何も起こらないからいいのだ。何も起こらないから詩とはどういうものかを知ることができるし、普遍的な日常の尊さを感じることができる。


最後に、私の好きな谷川俊太郎さんの詩を1つ紹介したい。

『これが私の優しさです』

窓の外の若葉について考えていいですか
そのむこうの青空について考えても?
永遠と虚無について考えていいですか
あなたが死にかけているときに

あなたが死にかけているときに
あなたについて考えないでいいですか
あなたから遠く遠くはなれて
生きている恋人のことを考えても?

それがあなたを考えることにつながる
とそう信じてもいいですか
それほど強くなっていいですか
あなたのおかげで

映画感想:『ショート・ターム』で目線を合わせる


映画『ショート・ターム』特報

こういった施設を舞台とした作品をいくつか観てきた。

古くは『カッコーの巣の上で』が有名だろう。ジャック・ニコルソン演じるマクマーフィーが刑務所から逃れるために精神病院に入院する話だ。彼は精神病患者を特別扱いせず、仲間とした扱った。

最近の作品だと『人生、ここにあり!』だろうか。労働組合員のネッロは正義感が強すぎるあまり精神病院に移動させられてしまう。そこで彼は、精神病患者を率いて床貼りの仕事を始める。

そして本作。問題を抱える18歳までの若者のためのグループホーム「ショート・ターム12」。ブリー・ラーソン演じるグレイスは、その施設のケアマネージャーとして働いている。

3作品に共通する事項とは何だろうか。

それは、どれも「目線」が重要だということだ。

マクマーフィーは、精神病患者を仲間だと考えた。
ネッロは、精神病患者を同僚だと考えた。

グレイスは、ホームの子どもたちと同じ目線で話をしようとする。絵が好きな子どもとは一緒に絵を描き、時には一緒に車を破壊する。それは彼女自身がホームの子どもたちと同じ境遇だったという自然な共感もあり、子どもたちには違和感なく受け入れられている。


私たちは、傷ついた人たちや弱い人たちと接する際に、上から目線になりがちだ。

カッコーの巣の上で』の看護婦長ラチェッドの強権的な姿勢や、『ショート・ターム』のネイト(短期アルバイト?)の自己紹介での言葉「恵まれない子どもたちのために〜」という発言がそれにあたる。

弱っている人に強くなりなさい、と言うのではない。自分が弱っていた時には何を考えたいたかを話そう。
病気の人に頑張れ、と言うのではない。今世の中で何が流行っているかの話をして、少し元の世界に戻してあげよう。


傷ついた人と接する際に、いかに同じ目線でいられるか。
テーマとしては重たいものだが、ラストシーンには救いがあり、重苦しいテーマをポジティブに考えることができる作品である。


そしてブリー・ラーソンの演技が素晴らしい。一見暗そうな雰囲気を纏っているのだが、最終的にはポジティブな彼女。『ルーム』もそうだが、演技とは思えないほど自然体。彼女の今後も楽しみである。

映画感想:『ニュー・シネマ・パラダイス』は映画好きのための映画


映画「ニュー・シネマ・パラダイス完全オリジナル版」日本版劇場予告


映画好きの映画好きによる映画好きのための映画。

タイトルは『ニュー・シネマ・パラダイス(イタリア原題:Nuovo Cinema Pradiso』)』、映画好きのパラダイスのような映画なのだ。


まず音楽が良い。

音楽が良い映画は良い映画だ思う。例えば『ゴッドファーザー』。『ゴッドファーザー』に音楽がなかったら、静かにすたれゆくマフィアの物語にただただ悲しい話になってしまう。そこに哀愁のある音楽があるために、『ゴッドファーザー』は名作なのである。

本作も音楽がとても良い。
作品全体にあるノスタルジックな雰囲気に音楽がマッチしている。優しく、愛情があふれていて、そして未来への希望がある音楽。去年からの流行りで「音楽生演奏映画」というものがあるが『ニュー・シネマ・パラダイス』があれば行ってみたい。


Ennio Morricone: Cinema Paradiso with Gimnazija Kranj Symphony Orchestra



出演者も良い。
主人公トトの少年時代を演じたのは、現地シチリアで生まれ育ったカシオ少年。演技っぽくなく、純粋に映画が好きな少年の役柄にぴったりだ。彼の映画を観ている時の笑顔がとても魅力的である。映画好きのあらゆる年代の人が、彼の笑顔を見て自分の原点を思い出すだろう。「ああ映画って良いものだ」と。「映画とは、至高の娯楽」なんだと。


また映画を観る姿勢についても考えさせられる。
現代の映画館で映画を観るときは「静かに、音を立てずに観なければならない」とされている。観客は面白くってたまらないシーンでも笑い声をあげてはいけないし、悲しくて仕方ないシーンで嗚咽をもらしてもいけない。演奏シーンがあったとして演奏後に拍手をしてもいけない。隣に座っている恋人に、ちょっとした感想を話すのもルール違反だ。
本作中の映画館、シチリア島の映画館ではそんなルールなど存在しない。子どもたちは面白いシーンでは大声を出して笑い、大人たちはキスシーンがカットされた場面で大きなため息をつく。何度も同じ映画を観たおじさんはその映画のストーリーを口に出してしまう。とにかく自由だ。

かつて自分が訪れたインドの映画館もそうだった。ちょっとした感想を語りたい場面では隣の人に平気で話しかける。電話に出る人もいる。ヒンドゥー語はわからなかったが「よお、悪いけど今映画観てるけど後にしてくれる?え?ふられた?それは大変だ!」なんてこと話してるんだろう。
いつの間にか映画は静かに観る神聖なものになってしまったが(日本人の国民性もあるだろうが)、実際に声は出さないまでも、声を出さざるを得ないほど感情をゆさぶられるものだという映画の本質を思い出させてくれる。


最後に、これはもう何千回、何万回と語られたであろうが、ラストシーンは映画史に残る屈指の名シーンだと思う。

本作は、観ている間に終止目が離せないほどのシーンが続くわけではない。初見では「名作と言われているけど、それは過大評価なんじゃないか?確かにトト少年の映画を楽しむシーンとかはいいけど…」と思ってしまうほど、中だるみと感じてしまうところもある。自分が観たのはオリジナルバージョンだが、完全版だと3時間近くあり、ラストシーンまでが長い。

ただ、それまでのすべてがここにつながっているのだと思えるワンシーンであり、そこまで観て良かったと心の底から思える。
涙、涙、映画好きなら感動せざるを得ない。「映画とは、かくも素晴らしいものなのだ」という感情があふれてくる。

名前負けしてしまいそうなタイトルである『ニュー・シネマ・パラダイス(イタリア原題:Nuovo Cinema Pradiso』)』。
名前負けは全くしていない。むしろ、この映画のためのこのタイトル、である。


こんな映画に出会えるから映画好きはやめられない。

映画感想:『イミテーション・ゲーム』はマイノリティのスポットライト


映画『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』予告編

メディアとは本来「媒体」のことである。物事と人をつなげる役割を果たす。

ただメディアには、他の側面もある。「光をあてる」ということである。

この風刺画を一度は見たことがある人は多いだろう。

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全体における一部のみに光をあてることへの批判、それを風刺したものである。時に意図的に一部のみが伝えられ、事実と反する誤解を与えてしまう、あるいは間違った理解を意図的にさせることができるというメディアの負の側面である。

一方でアラン・チューリングのような不遇の人に光をあてるのもメディアの一つの側面だ。

そう、本作で取り上げられているアラン・チューリングは不遇の人だ。
暗号解読で大きな成果をあげ第二次世界大戦終結に貢献したものの、その暗号解読が英国の機密事項だったため、彼はその行為によって賞賛されることはなかった。また当時は同性愛が認められておらず、同性愛者であった彼は有罪となり、最終的に自殺してしまう。

死後、英国では徐々に情報公開がなされ、2012年にはエリザベス女王の名のもと、恩赦が与えられた。そして2014年、本映画が公開され、世界中の人が彼の功績/人生を知ることになる。


映画というメディアの「光をあてる」という役割、それが機能するためには、そうしようとする監督や脚本家が必要だ。

本作に関しては、脚本家のグレアム・ムーアが発案だ。彼がアラン・チューリングの伝記を読み、脚本を書き上げた。なぜそうしようと思ったのか。その理由を、作中のアラン・チューリングの元婚約者ジョーン・クラークのセリフ、そしてグレアム・ムーアのアカデミー賞スピーチから理解することができる。

一つ目、アラン・チューリングが落ち込むシーンでジョーンがこう声をかける。

あなたが普通じゃないから、世界はこんなに素晴らしい

そしてグレアム・ムーアのスピーチ

When I was 16 years old, I tried to kill myself, because I felt weird and I felt different and I felt like I did not belong. And now I am standing here.
So I would like for this moment to be for that kid out there who feels like she’s weird or she’s different or she doesn’t fit in anywhere. Yes, you do. You do. Stay weird, stay different. And when it’s your turn to stand on this stage, pass the message along.

私は16歳の頃、自殺を図りました。それは自分があまりにも変わっていて、周りと違い、居場所がないと感じていたからです。でも、今私はここに立っています。私はこの場を、自分は変わっていて、他の人と違っている、だから居場所がない、そう感じている子供たちのために捧げたい。あなたにはもちろん居場所があります。そのままで、変わったままで、違うままでいてほしい。(私のように)人生の素晴らしいステージに立つときが必ずきます。そしてそのとき、あなたがこのステージに立った時、どうか次にこのメッセージを繋げてください。


これほど、マイノリティに力を与える言葉があるだろうか。
誰しもが孤独を抱えている。自分には居場所がないんじゃないかと感じることがある。そんな不安を払拭してくれるような、マイノリティを肯定してくれる名作だった。

映画感想:『そして父になる』の福山雅治の演技は素晴らしい


映画『そして父になる』予告編

福山雅治の演技へのアンチが多いようなので、それに関しての個人的な感想を。

本作での福山雅治の演技は良かったように思う。
「演技うまい」ということではない。キムタクと同様に、彼もまた何を演じても「福山雅治が演じている」ことがイメージとして先行してくる。

その「福山雅治らしさ」が、エリートビジネスマン野々宮良太のイメージと合致していた。

野々宮は、エリートビジネスマンを一般化したような人物だ。

一流の建築界社につとめる建築家であり、都心のタワーマンションに住んでいる。優秀であるが故に大きな仕事を断続的に任されており、休みの日も仕事、夜家に帰ってからも仕事とワーカホリックな状態だ。一方で息子との時間を全く割いていないわけではなく、仕事と仕事の合間に受験の面接に行ったりと最低限「父親」であろうとしている。

都会のエリートの「型」にはまったような人物で、彼もそんな自分を良しとしている。

そんな「型」にはまったエリート感、ある種の硬さが、福山雅治の「型」と合致している。

例えば、今まで違う家庭(群馬の電気屋で自由)で育った子どもに対して、「これがルールだ」なんて言っちゃうあたりがエリートビジネスマンの人情の希薄さを揶揄しており、それが福山雅治の「硬さ」と合致してとても良い演技だと感じる。


一方のリリー・フランキー。彼の演技というか、本人の元々持った性質(ゆるーーい大人)が、群馬県のどうしようもない、だけど愛情深い家庭の父親の人物像とうまくシンクロしている。


子を持つ人であれば何かしら考えるところがあるテーマ、そして登場人物像に合致するキャスト。是枝監督の特徴とも言える音楽の少ない静かな作品の雰囲気。テーマとキャスト、そして監督の色。とてもストレートで爽やかだからこそ、取り上げているテーマを深刻ではないが真剣に考えられる作品だった。

映画感想:『オクジャ』と北海道の猟師から考える食肉


この子は、私の大切な家族。『オクジャ/okja』家族編 (30秒)


韓国出身ポン・ジュノ監督が各映画会社に企画を持ち込み、多くは断られ、NETFLIXのみが賛同。予算50億ドル、内容に関してNetflixは口を出さなかったもので、それゆえに自由に作られた作品になっている。

確かにショッキングな内容で、アメリカの映画会社が断ったというのも頷ける。食品業界からの反発は必須であり、利害関係を考えた結果リスクが大きすぎるのだろう。

本作を飾らない一言で言えば「韓国版トトロが実は食用の家畜で、その是非を様々な立場の人の視点を通して見る作品」である。


オクジャが預けられた家の子どもであるミジャから考えればオクジャは「親友」である。物心がないころからずっと一緒であり「家族の一員」であるとも言えるだろう。オクジャが食用に作られた動物であろうがなんであろうが関係がない。

アメリカの大企業未ランド社CEOのルーシーは、オクジャプロジェクトを成功させることは「会社の成功=自己実現」であると考えている。

ルーシーの姉ナンシーはさらに合理的。オクジャを金銭的価値でしか評価しない。お金を払おうがオクジャを手放さなかったルーシーに対して、ナンシーはお金さえ払えばオクジャを渡してもよいという考え方をしている。

動物愛護団体ALFリーダーのジェイもまた、オクジャを彼らの理念を実現するための「手段」としか見ていない。名目上は彼らは「動物愛護団体」なのでオクジャとその家族であるミジャを大事に扱うのだが、何かずれている。彼女らを大事にすることが目的というよりは、彼らの理念を実現するために欠かせないために大事に扱っているという印象を受けるのだ。

そして食肉工場の職員。彼らは、オクジャを「モノ」としか見ていない。それ以上でもそれ以下でもない。

皆それぞれの立場で違う考え方を持ってオクジャに接する。
オクジャとミジャにとっては、たまったものではないだろう。

ただ、彼らの姿勢を全否定するわけではない。
自分も生きる糧として肉を食しているわけで「動物が可哀想だから」と肉を食べることをやめることはできない。

肉をやめることはできない。それならそれで、その裏側にどういう思惑の人がいて、自分たちのところに「肉」が届くのか、それを都度考えるきっかけになるのではなかろうか。

少し前のNHK「プロフェッショナル仕事の流儀」で、北海道の猟師の特集をしていた。

久保俊治(2017年4月17日放送)| これまでの放送 | NHK プロフェッショナル 仕事の流儀

彼は動物を後ろから狙わない。また1発でしとめるように頭を狙う。なぜなら無駄に動物を苦しめてしまうから。自分が生きるために、最大限「動物を尊重する姿勢」を持ち、猟を行っていた。

鉄砲を撃って野生の動物を取ることがかわいそうだ、と批判されることもある。しかし、昼食にとれたての鹿肉を食べながら、久保は語った。「そういう人は、どんな肉も食べないのだろうか。今はと殺が分業化され、一番嫌なところは自分がタッチしなくてもいいだけではないか。私は、熊も、鹿も、鴨(かも)を食べる時だって、ちょっと前まで生きてたって意識は常に持っている。」

美味しい肉を作るために遺伝子操作を行うことは、動物を尊重する姿勢を持っている行為だと言えるだろうか。否、言えないだろう。

「いただく」という行為に対しての姿勢を考え直させてくれる。そんな作品だった。

映画感想:『20センチュリー・ウーマン』の各シーンを切り取って写真展を開きたい


20th Century Women | Official Trailer HD | A24


素晴らしい作品だった。今のところ、2017年に観た映画でベスト。


稚拙な感想に聞こえてしまうかもしれないが、とにかく「キラキラ」している。ポスター写真の雰囲気そのままだ。
1970年代という女性の社会的な立場の議論が活発だった時代、今よりも社会進出する女性が少なかった時代、そんな時代の3人の女性が生きることの複雑さとその素晴らしさを教えてくれる。


この映画の良さを3つの点から伝えたい。

キャスト

まずキャスティングが素晴らしい。

15歳ジェイミーを演じるのはルーカス・ジェイド・ズマン。子どもらしさも残りつつ、声がわりして声は大人という少年と青年の狭間をうまく演じている。彼のこの一瞬はこの映画にしか残らないだろう。

ジェイミーの母ドロシーを演じるのはアネット・ベニング。自身も4人の母親であるアネット・ベニング。思春期の息子への接し方への葛藤。また自分の考えをしっかり持った大人の女性。1人の人物の2つの表情がうまい。

子宮頸がんと闘病する写真家アビーを演じるのはグレタ・ガーウィグ。赤髪と闘病による物憂げな表情が印象的。

ジュリーを演じるのはエル・ファニング。少し悪いことも覚えて、ただ漠然とした不安もあり、基本的に無愛想。そんな17歳のジュリーを見事に演じている。

かつてヒッピーコミュニティーに属していた大工ウィリアムを演じるのはビリー・クラダップ。知らなかったのだが、トニー賞も受賞した名優。言葉が少ない役柄だが、元ヒッピー中年の悲哀がじんわり伝わってくる。抑えた演技が魅力的だ。

音楽

1970年代のアメリカではロックが流行っていた。当時流行っていた曲をいくつも聞くことができる。
またそれとは違う、要所で流れる爽やかなBGM。カラフルな水玉が弾けるようなメロディーで、彼女たちの生の一瞬一瞬の輝きを感じることができる。

映像

1つ1つのカットに深いこだわりがあるのがすごく伝わってくる。
劇中のどのシーンを切り取っても、写真展が開ける作品にできるようで。

中でも一番好きなのは、ジェイミーがスケボーを使っているシーンだ。
緩やかな坂を、緩やかにスケボーで下るジェイミー。そして、それを少し離れて車で追う母ドロシー。
そして最後ではその2人が重なり…




大成功するという話でもないし、大失敗するという話でもない。
衝撃的な展開がある話でもない。
劇中で描かれている彼女たちの人生の一部は、一部でしかなくハイライトということでもない。

では、なぜここまで魅力的なのか。
それは監督/脚本家の人を見る視点の優しさと繊細さ、それをうまく表現した映画としての出来が素晴らしいからだろう。



色々な感情を抱えている時にまた観よう。そう決めた。