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【インドに行ってきた】ムンバイ2日目-インドありがとう-

さて、最終日。

 

正確に言うと、翌日が最終日だったが午前の飛行機でムンバイを発ってしまうので、この日がインドを歩きまわる最後の日である。

 

ムンバイはデリーやアグラ、バラナシよりもかなり南にある都市なので、朝から暑い。上は半袖Tシャツ一枚でちょうどいいくらいだ。

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8時くらいに起床し、ムンバイ探索に出かける。

 

ムンバイセントラル駅から、チャーチゲート駅へ。

目的地は、インド門とタージマハルホテルだ。

 

まずは、カフェで朝食兼昼飯をとった。

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インドのチェーン店的な店は、やはり無駄に店員が多い(客が数人しかいないのに、店員が7人もいる)。

 

腹を満たして、ぶらぶら街を歩く。

 

広いグラウンドがあり、子どもがクリケットの練習をしていた。

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大英帝国の植民地だった影響で、インドではクリケットが大人気だ。

ほとんどのインド人がクリケットファンだと言われていて、人気の試合ともなるとTVの視聴率は80%もいくらしい。日本との関わりでいえば、野球をクリケットにした巨人の星のインド版「スーラジ ザ・ライジングスター」が人気だそうだ。

 

そして、1878年に建築されたゴシック様式の建物、ムンバイ高等裁判所

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ムンバイの建造物は、ヴィクトリア朝のゴシック・リヴァイヴァル建築とインドの伝統的建築の融合が特徴だ。

 

その隣にあるムンバイ大学の時計台。

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イギリス人が設計したもので、ビックベンを参考にしているそうだ。

 

 

その後、プリンス・オブ・ウェールズ博物館に寄った。

ウェールズ皇太子だったジョージ5世がインドを訪問したのを記念して1905年に創立された博物館で、現在の正式名称は、「Chhatrapati Shivaji Maharaj Vastu Sangrahalaya」だそうだ。

 

歩いて行くと、建物がなくなり道がひらけて来る。

海、そしてインド門だ。

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英国の支配下にあった1911年に、英国王ジョージ5世とメアリー王妃の訪問を記念して造られた。 

カメラを持ったインド人が、「PHOTO?」と言って近寄ってくるがスルー。観光地ではよくある商売だが、あえてツッコミをいれたい。

 

①「撮った写真どうするの?」と思ってたら、1人1台プリンターを持ち歩いてた(笑)

②いすぎ!(半径10mに5人ぐらいいる)

③いまどき、何かしらのカメラも持たないで観光行く人いないと思う。

 

インドでいちいちツッコミをいれていたらキリがないが「これももうできないのかと思うと寂しい」と感じる、多分。

 

後ろ振り返ると、タージマハルホテルがドーンと建っている。

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このホテルの出来るまでを簡単に書いておこうかな。

 

1900年ぐらい、インド近代工業の父といわれるタタ一族の創業者ジャムセットジ・タタは、当時のムンバイ最大のホテル、ワトソンズ・ホテルに入ろうとした。

すると…

 

ホテルマン「白人専用ですぜ、おやっさん」

タタ「ちょ、お金はあるからさ、泊めてよ!」

ホテルマン「いんや、決まりなんで泊められません」

タタ「そんなこと言われると、今日野宿になっちゃうよ!」

ホテルマン「そんなん知ったこっちゃないですわ」

タタ「もういいもん!もっとすごいの自分で作っちゃうもんね!君ら来ても泊めてあげないからね!」

 

という会話があったかは知らないが、ワトソンズ・ホテルで宿泊を断られたタタは、写真のとおりものすごい豪華なホテルを作ったわけだ(これは実話)。

 

そのホテルの1階には、タタとスターバックス合弁会社が運営しているスタバがある。

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インドということで、チャイティーラテを飲んでみた。味は、スパイシー、だった気がする。

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スタバでMacは万国共通なようで。

 

ムンバイ観光はここまで。

そう、ムンバイでは所謂「観光」をした。

観光とは、要は「見るだけ」である。バラナシで得られたような「その国に、町に入りこむ」感覚はない。今回の記事が観光地の紹介中心になってしまったのもそういうことだろう。

もちろん、街にいるのはインド人だし、ゴミだらけだし、物乞いもいる。

ただ、これまで旅をしてきたどのインドの町よりも、都会的でインドっぽい要素は少なかった。

 

最後に、ムンバイの夕焼けを望む。

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夜は、アヤコのおじさんとお祖母さんと食事をした。もちろん2人とも日本人だ。

アヤコのおじさんは金融系の仕事でムンバイに単身赴任していて、お祖母さんはツアーでの1人旅らしい(たくましい…)。

車で迎えにきていただいた。大きい車で運転席には専属の運転手がいる。

中華料理店に連れて行ってくださった。

 

誰かが軽く聞いた質問だったが強く記憶に残っていることがある。

 

誰か「どうしてインドにこようと思ったんですか?」

 

確かに、どうして、その年齢(50代)でインドに単身赴任しようと思ったのだろう。

 

アヤコのおじさん「ある日突然、「インドで働いてみない?」と言われたんだよね。最初は断ろうと思ってたんだけど、電車でふとした瞬間に「これは最後のチャンスかもしれないぞ」って思ったんだ。人生一回しかないし、そういうクレイジーな環境に身をおいてみるのも楽しいんじゃないかってね。」

 

ある程度の年齢になったら「守りに入ってしまう」人が多いだろうと思う。

だけど、アヤコのおじさんは50代で1人でインドに乗り込んだ。

なかなかできることじゃないと思う。その対象は「世界に出る」ことに限った話ではないけど、年齢だとか社会的立場をものともせず挑戦していく姿勢は見習いたいし、いつまでもこころがけていたいものだと思った。

 

その後、お宅にてシャワーを貸していただいた。

皆の体調も優れないなか、宿のひざ下蛇口で水浴びはきついと考えお願いしたのだ。

正直、生き返った。

 

「慣れた」とは言いつつ、案外参ってたんだなと思った。

日本という世界でもトップクラスのインフラを持つ国に育つと、どうしても人間という「動物」として生きていく力は弱くなるのだろう。

別に悪くはない。先進国に生きている全員が、インドのような環境で生きていくための「サバイバル能力」を持つ必要はない。むしろありがたいことだと思わねばならないと思う。環境に感謝し、それを維持していくためには何を考えなければならないのか、何をすべきなのか、そして「インドのような場所では日本より格段に悪い衛生環境の中で生きている人がいる」ということ、それらを頭のすみっこで意識しておくことが大切だと思う。

 

宿に帰って就寝。

次の日は、いよいよ日本に帰る飛行機に乗り込む日だ(デリーで5時間待ち、上海経由だから帰国は2日後だったが)。

 

 

時系列での「旅の記録」の記事はこれで終わりとしたい。

ここまで書いてきて、本当にいろいろあったんだなと改めて実感している。

一生忘れない旅になった。

 

紀行文的なものはこれで終わりだけど、まとめとかまだいくつか書こうと思ってる。

一旦ここで、この旅を締めたいと思う。

 

ナマステ~

 

 

 

 

間違えた。

 

 

 

 

シュクアリア~

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ヒンドゥー語で「ありがとう」)

 

ありがとう! インドさん、ミホさん、アヤコ、ダイちゃん!