【インドに行ってきた】総括
インドは、人生観が変わる場所と言われている。
自分探しをする場所として、揶揄されることもある。
しかし、実際に行ってみてそんなことはなかった。
少なくとも、自分の場合は「人生観」は変わらなかった。
そもそも「自分探そう」なんて思ってなかった。
それは「入りこまなかったから」かもしれない。
インドの中に「どっぷり浸かる」という程には入り込むことはなかった。
1週間ぐらいバラナシに滞在したら、違ったかもしれない。
インドにいた日数はほんの10日と少し程度で、1ヶ月ほどいたら違ったかもしれない。
それらは仮説でしかないのでなんとも言いようがないが、今回の旅は引いてみてたところがあると思う。
「23年生きてきて、そんな一瞬で人生観など変わるものか」
「でもそれは「頭が硬くなってる」ということじゃないのか?」
そんな2つの相対する考え方が頭の中でぶつかり合っている。
インドから帰ってきて、日本の「現実」が変わっているかと言えばやっぱりそうではない。
目の前にあるのは脱ぎ散らかされた服だったり、置きっぱなしの洗い物だったり、電車で寄りかかってくる疲れたおっちゃんだったり、それは紛れもない現実だ。
それを疑いようもない現実で、変わったりしない。
もちろん感じることはたくさんあった。
それをここで1つにまとめることはできない。それほど、インドというのは一面的に捉えることのできない国だった。
日常の小さな出来事の中で急に戻ってくるのかもしれないし、数年後か数十年後かに印象的な体験としてフラッシュバックされるのかもしれない。
ただ、1つ言えることがある。
「今この瞬間にも、チャイ売りのおっちゃんは「チャーイチャーイ」とチャイを売っているし、インドの子どもは家の屋上で凧揚げをしているだろうし、ヒンドゥー教徒はガンジス川で沐浴している」ということだ。
それが身体を伴った感覚として実感できるようになった。
今いる場所「現実」だけではなくて、「違う世界もある」という実感、「インドではインドの現実がこちらと同時間に存在している」という視点を持つことができるようになったことは大きい。
映像や文字など、視覚と聴覚からインプットされた知恵や知識でしかなかった世界が身体感覚を伴って実感されたことは、自分の視界を広げることになった。
そして「無知」を知った。
「無知の知」なんていう大それたことではなく、インドでは自分の知らないことがたくさん知った。情報が入手しやすくなっている今だけど、そのそれはあくまで「情報」でしかなく自分の「体感」ではない。知ったつもりになっているだけだ。
無知を自覚した上で自分の頭と身体を使って「知ること」は、常に心に留めておきたい。
最後に、今回のインドへの旅は「この時期にしかできない旅」だった。
沢木耕太郎氏が『深夜特急』の旅を振り返った『旅するノート』に以下のような言及がなされている。
20代を適齢期とする旅は、やはり20代にしかできないのだ。50代になって20代の旅をしようとしてもできない。残念ながらできなくなっている。だからこそ、その年代にふさわしい旅はその年代にしておいた方がいいと思うのだ。(p.244、沢木耕太郎『旅するノート』)
仮に10年後インド初めて行くとして、今回のように「鉄道&宿」の予約が取れていない状態ではいかないだろうし、28時間の夜行にも乗らないだろう。
様々な制約やしがらみがあって、20代と同じような旅をすることはできないと思う。
ノープラン、予約なし、だからこそできない経験があって、それは今しかできなかった。
大学を卒業する前のこの時期に行ってよかったと思う。
インドに行った人は「2度と行くもんか!」と「また行きたい!」にきっぱり別れるという。
自分は後者だった。
いつになるかわからないが、いつかまた行きたいと思う。
いつかまたのその時は、その時にしかできない旅を。