「外の人間」として、インドの貧困にどう向き合うか
インドで強く印象に残っていて忘れることができないのは、長距離寝台の床を上裸・半ケツで拭いていた子どもである。
バラナシからムンバイへの28時間、長旅にも飽きボーっとしていた時。
汚い雑巾で拭きながら進む子どもが、通路を進んできた。
インドには貧しい子どもがたくさんいて、物乞いをしている。
また、掃除や陽の目を見ない小さな仕事をして、その日暮らしをしている。
その子どもはこちらを振り向きもせずそのままいってしまいそうな素振りを見せたので、あまり気に留めていなかった。
すると、急にこちらに目を向けた。
目には光がない。その光のない目で俺の目を見る。そして手を差し出す様子を見せ、すねをコンコンと叩くいた。そのノックには力がない。小動物に叩かれているような微かな振動。その大きさが、彼の生命力を表しているようで得も言われぬ感情におそわれる。
目を合わせることはできない。じっと宙を見つめることしかできない。
「こういう子どもには何もあげちゃいけない」どこかでみかけた言葉を自分の頭に言い聞かせていた。
すいぶん長い時間に感じられたけど、1分ほどたった後だろうか。
ミホさんがチョコレートを差し出した。
子どもは受け取り去っていった。
すごく情けなかった。
思考停止していたんだ。目をそらしていたんだ。どう向き合っていいかわからないから。向き合うのが怖いから。
自分の考えをもってどうするかを決めればいいじゃないか。目の前に泣いてる子がいれば助けるべきじゃないのか?少なくとも自分はどう思うんだ?と。
確かにその是非は議論されていることであり、人によって意見も違う。そして、与えてしまうとその物乞いという行為が正当化されエスカレートしてしまうこと、往々にして物乞いをする子どものウラには大人がいて子どもらの手には何も残らないことから、多くの人は「与えるべきではない」と結論づけている。
ただ、その時の少年は「働いて」いた。掃除という「労働」を通して、その「対価」を受け取ろうとしていた。何もなしに、モノやお金を要求することとは違う。
そこでお金やモノを与えるかどうかは、自分で考なければならないだろう。
「バックに大人がいるのであれば、食べ物を与えればいい」という基準を設けることもできる。実際に一緒にインドに行ったダイちゃんは、ムンバイでバナナを与えていた。
その是非をここ言いたいのではない。
陳腐な表現になってしまうけど、「考える」ことが大事だってことだ。
「お金やモノを求められたら何も与えない」と決めることは簡単で、そして「楽」だ。世界規模の問題である「貧困」に向き合って何かしらの結論を出すのは、おそらく疲れるし、労力のいることだと思う。
だけど、今回の件でそうやって思考停止することは本当に怖いことだと感じた。
そういう「思考停止」状態が、貧困を固定化しさらに加速させる。
想像力を働かせられなくなる。
憲法で禁止されつつも、インドでカースト制度がなくならないのは、「階級がある状態は当たり前で、そういうものだ」と思考停止状態にあるからに他ならない。
「インドの貧困にどう向き合うか」
その答えは、「先入観にとらわれず、ありのままのインドを見ること、そして自分の頭で考えること」だと思う。
柳沢教授「すべては人間というフィルターを通して変わるものですから。私は、そのフィルターをどう研ぎ澄ましていくかについて一番関心があるのです。」
まもる「フィルターって…何?」
柳沢教授「たとえば…心の眼です」
まもる「こころのめ?」
柳沢教授「そうです。まもる君が何かを見て綺麗だなとか嫌だなとか感じるそんな眼です。でも次第にその眼の上にいろいろなものが重なっていって、自分の本来の感じ方が知らないうちに変わっていってしまうことがあります。だからいつもフィルターをピカピカにしていたくて私は研究しています」
まもる「大きくなるって大変だ」
柳沢教授「そんなことはありませんよ。楽しいですよ」
(山下和美『天才柳沢教授の生活㉙』第201話「二つの太陽」)