「頭の中の余白」の話

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社会人になって1ヶ月がたった。

色々と感じることはあるけれどそれは別の話として、
今日書きたいのは、「頭の中の余白」のこと。


昨日、六本木森美術館に行ってきた。

「LOVE展:アートにみる愛のかたち」という森美術館10周年記念展。

「愛」というテーマの沿った様々なあアートが集められていて、
絵画から銅像、映像作品、初音ミクまで、「愛」に少しでも引っ掛かりがある作品が集められていた。

結構なカオス具合。

見ている時はそれなりに楽しんだわけだけど、
今その感想をここに書こうと思ったら書けない。

文字にして思考を働かせようとすると、ぼーっと靄がかったようになってしまう。
何かをつかもうとしても、力が抜けてしまってあと少し手が届かない感覚。

「明らかに3月まで頭の動き方が違うな」と感じる。


なんでそんなことになってしまうかというと、
その理由ははっきりしている。

それは「仕事」。

平日に頭を働かせすぎて、それ以外に動かす余地が少なくなってしまっているんだよね。

3月までは、インプット、アウトプット共に持て余してたぐらいだったのに、
今は逆に、どちらもいっぱいいっぱいになっている。


「切り替えが大事」ということはよく聞くことだけど、
その意味がわかった。

何を切り替えるかっていうと、頭の中にあるいくつかの部屋の切り替えのことだと思う。

「高速回転する仕事の部屋」とか、「社会的しがらみや制約から離れた休日の部屋」とか。
あるいは、「先入観をできるだけ排除した芸術鑑賞の部屋」とか、「思考をほとんど伴ないわない運動の部屋」とか。

思うに、今自分が休日に思考が鈍くなってしまっているのは、
そんな部屋を明確に分けられていないからだと思う。

大学生の時はそれで済んでいた。
普段の生活では仕事ほどの長期的な負荷がかかる頭の使い形をしていなかったので、
必要性を感じていなかった。


ただそのままじゃダメで、働いていると、意識して分けなきゃ休日がボーっとしてるだけで終わってしまう。

言い換えれば「1つの塊として、ダラダラと使う」ということ。
全体として、余裕がどこにもなくなってしまう。


そうではなくて、
「ここは「仕事の部屋」で、あそこは「休日の部屋」で…」
そういう風に、予め頭のリソースを割り振っておく。

少しでもいいから、「本を楽しむ部屋」とか、「食事を楽しむ部屋」とかを作っておくこと。

時には「仕事の部屋」大きくなってしまうことがあるかもしれないが、
その時は、別の「仕事の部屋」に余裕があるときに他の部屋を大きくしてあげればいいだけの話。


部屋を割り振った上で、そのバランスを意識すること。


働きながら生きていく上で、
そんなようなことを心にとめておきたい。

GWの2,3日目。
そんなことをもやもやと考えた休日だった。

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