マック問題に直面しつつ仕事をしている

「魂は細部に宿る」

元々は「God is in the details(神は細部に宿る)」という言葉だったのだが、
20世紀を代表する近代建築の巨匠、ミース・ファン・デル・ローエの言葉だそうだ。

近頃、仕事でこの言葉が思い出されることが多い。

疑心暗鬼

昨年、クライアントに提出するデータに複数回にわたって不備が見つかったことがあった。
大きな意思決定に不備ということではないのだが、間違いは間違いだ。
それからクライアントのデータに対する見方が変わり、直接意思決定や成果につながることのない
細かな点まで追求されるようになった。

コピーライトの年

普段は代理店という立場上、自分で資料を作りクライアントに提出することがほとんどなのだが、
媒体社との打ち合わせで、媒体から資料を受け取る場面もある。
ある日媒体社1年目の社員が営業に来る機会があったので話を聞いていた。
その資料を見て驚いた。ページ数がついていなかったり、Copyrightが昨年のままだったりと、些細な部分ではあるものの、資料の不備が目立つ。資料自体の内容に関係ないのだが、そういったことが、相手への信頼性を大きく損ねる。

マックの話題

近頃マクドナルドでの「ポテトフライへの歯の混入事件」においても考えてみる。
一度「歯がポテトフライに混入していること」が騒動になった後、次々とメディアが取り上げ、
今まではあまり追求されることのなかったことが苦情としてマクドナルドに押し寄せている
(あるいは表に出てきていなかっただけかもしれないが)。
この状態になってしまうと、マックで何かを食べるほとんどの人がその事件を思い出し、
食品の状態に対していつもよりも注意を払うようになる。


疑い出したらきりがない。
「疑心暗鬼」という言葉がぴったりなのだが、普段見えていないものでも、一度その存在を意識し疑い出してしまうと気になってしょうがない。極端な言い方をすれば「あら探し」のようになってしまい生産性のない事態になってしまう。

だからこそ細部まで最新の注意を払うべきだという実感を改めて感じている。
もちろん見逃すこともできる。
ただ互いの信頼関係がしっかりと構築できていない状態では、細部のミスが表面化してしまうと、全体の信頼が落ちてしまう。信頼というのは築きあげるのは難しくかつ時間がかかるが、壊すのは一瞬で簡単だ。

「いやいや、寛容さを持って物事を見なさいよ」という考え方もあるだろう。

ミスの度合いが違うが、下記記事のようなことがあった。


ニッセンがTwitterで誤字→公式アカウントがよってたかって協力して1日で「激怒Tシャツ」商品化決定 - ねとらぼ

良い寛容さ、遊び心の一例だと思う。
ミスに対してそれを笑いで許す寛容さ。
日本には、もっとこういうスタンスが必要なように思える。

ただ、相手の何を信頼していいか何を信頼してはいけないかがわからない状態では、遊び心も何もない。まずはベースとなる信頼関係を築いてこその寛容さなのだと思う。