映画感想:『おおかみこどもの雨と雪』は「選択」の話


映画「おおかみこどもの雨と雪」特報1

金曜ロードショーでやっていたので鑑賞。

とても優しく暖かい母親が印象に残る。2人のおおかみこどもの母親花は周囲に頼れない大変な状況の中、子育てをする。

人によっては「ゆるふわへらへらで子育て、そんな甘くないし、うまくいくわけないだろう」という批判もあるようだが、自分の感じたことは違った。

彼女は弱音を吐かない。それは、こども達を守り育てるのは自分しかいないから。ただただ懸命に、自分のためではなくこどものためにその日を生きる。「いつも笑っているな」と言われるシーンがあるが、それはお気楽なのではなく、こどものために自分を守るための笑顔のように見える。

彼女は決して強制しない。それは、こどもたちはいつか自分で選択をしなければならないから。学校に行く行かないは、こどもの選択に任せる。雨が学校に行きたくないのであればそれでよし。雪が同級生を傷つけてしまって学校に行かない時には、学校に行くことを強制しない。同級生の呼びかけに本人が応じて自発的に行くようになるのを待つ。

雨が不登校になっても学校に行かせようとしないのは、説得することを放棄しているのではない。
そもそも「学校に行く行かない」の話の前に、おおかみこどもには「人間として生きるのか、おおかみとして生きるのか」ということを選択しなければならない。ただ、当然おおかみの育て方がわからない花は、こどもの選択に任せるということしかできない。だからこそ強制をしないのだと思う。

ただ、花がこども(雨)の選択に異を唱える場面がある。あれだけ勉強をしていても、頭ではわかっていたとしても、目の前におおかみの世界が現れると戸惑ってしまう。ただ彼女は雨の中の山を歩き回ることで、雨の選択を理解した。「受け入れる」という選択をしたのだ。

本作は親子の成長物語である。

成長とは、選択をすることだと思う。

自分が親になったらまた観たい。たぶん、全然違う感想を抱くのだろう。