映画感想:『平成たぬき合戦ぽんぽこ』と『妖怪ウォッチ』


映画 平成狸合戦ぽんぽこ CM 1994年

自分が3才ぐらいの小さい子どもだった時、祖父によく近くの川に連れていってもらったのを覚えている。
海の近くの下流なので比較的流れは穏やかではあるものの、泳げもしない子どもなので川に落ちたら溺れてしまうかもしれない。

祖父は事あるごとにこう言った。

「川にそんなに近づいたらあかん。河童の川太郎に引きずり込まれるで。」

河童が怖かった。家族ではない大人でさえ得体の知れない恐怖を感じることもある年齢で、
河童という妖怪の存在はさらに得体が知れない。

当然、川からできるだけ離れて歩いた。

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地上派で数年に一回放送されているため、『平成たぬき合戦ぽんぽこ』を一度は見たことがある人が多いだろう。

本作の舞台となっているのは多摩ニュータウン
東京を中心とした都市部に人口が集中し、住宅難に伴い東京郊外の多摩地区の開発が進められた。
元々野山、里山だった地域に重機が入り、開発が進んでいく。
そこに住んでいたたぬきが住処を奪われる危機に直面し、開発をさせないために「化学(ばけがく)」を駆使して闘うというストーリーが本作の大筋だ。


中盤から終盤にかけて、たぬき達は大掛かりな変化(数々の妖怪)をし、既に人が住んでいる地区に乗り込む。

巨大な骸骨や龍、数々の異形の妖怪(全て水木しげる御大の作品に出てくる妖怪)が住宅地に出現し、人々を恐怖に陥れる。
そして人々は「開発に対して自然が怒っている。これ以上山を、森を切り崩すのはよくない」と考えを改める。

とたぬき達は考えていた。

しかしニュータウンに住んでいる人々の感じ方は違った。
もちろん現代の科学では説明することができない現象を恐れる人はいたものの、多くの人(特に子ども)は恐怖心を感じることはなかった。

何かのショーだと思い、単純にその現象を楽しむだけ。たぬきが力を使いはたして妖怪が消えた後には「もう終わりー?」という少年もいた。
全く怖がる様子がない。むしろ楽しんでいる。


そして2017年の現代。人々にとっての妖怪はどのような存在なのか。
2013年にゲーム発売、2014年にアニメ化された作品を知っているだろうか。

そう『妖怪ウォッチ』である。
ウィスパー(白い火の玉状の妖怪)やジバニャン(車に轢かれて死んだ猫の地縛霊)など、ポップなデザインのキャラクターが登場する。
困ったことを引き起こす妖怪を人間である小学生ケータが説得し、時には戦って問題を解決する。そして、その妖怪と友達になる、というストーリー。
水木しげるの描いた妖怪とは方向性が違う、キャラクターとしての妖怪が『妖怪ウォッチ』に出てくる妖怪である。


ここで冒頭の話に戻ろう。

自分の祖父の家は四国にある。都市部ではない四国では未だ野山が人間の暮らしと共存する形で存在しており、
言われてみれば、いかにも妖怪が出そうな雰囲気がある。
そこで住んでいる人々は、親から子へ、祖父母から孫へ、土地に伝わる伝説を伝承してきた。
土地の雰囲気もあり、子どもはそれを信じ、科学の発展した現代においてもある種の「科学を超越した存在」として存在を認識していたりする。


各地で都市化が進む今、「妖怪の危機」の状態ではないだろうか。

妖怪という存在は『妖怪ウォッチ』などで多くの人に知られるものではあるが、
水木しげる柳田國男南方熊楠が後世に残そうとした妖怪とは神秘性のあるものだ。

ゲゲゲの鬼太郎』のアニメではなく、水木しげるの漫画を読んだことがあるだろうか。
無邪気に読めるものではなく、どこか不気味な雰囲気、不安さえ覚える雰囲気を纏ったものである。

妖怪とは、自然界におけるタブーを具現化したもので、それゆえに神秘性を伴っているものではないだろうか。

今回の話で言っても「里山を守る」ということは、経済合理性から考えれば「守る」という選択肢にはならない。
ただ「妖怪が里山を切り崩すのを阻む=触れてはいけないタブー領域」として、科学や経済で説明できない論理で考えてみてもよいのではないか。

元外務官僚の佐藤優氏と池上彰氏の対談書『新リーダー論 大格差時代のインテリジェンス』にこんな一説がある。

佐藤
「社会にはタブーも必要です。タブーというのは、言論の自由や民主主義の観点からは否定的に扱われますが、むしろ、ある種のタブーが存在する社会の方が良い社会なのです。」

(中略)

佐藤
「「生物は何物にも代えがたい」という戦後日本の生命至上主義は、理屈を超えたものです。いわば一種のタブーです。
こういうタブーはどの社会にもあります。もし人間の生命も、すべて経済的に計算され、医療費も、すべて経済合理性で計算されることになれば、恐ろしい社会になります。」

妖怪がいる社会とは、そういったタブーが存在する、人間と自然のバランスがとれる社会ではないだろうか。

時代によって形が変えるということはもちろん必要なことである。

確かに、妖怪ウォッチは『ゲゲゲの鬼太郎』のアニメのブームが去って忘れられつつあった「妖怪」の存在を思い出させてくれた。
本作『平成たぬき合戦ぽんぽこ』においても、最終的に里山を追われたたぬき達が、ゴルフ場で楽しそうに宴会をするシーンが描かれている。
時代に対応し、たくましく生きるたぬき達の生きる力に元気づけられるシーンだ。

ただ、本質を忘れてはいけないのではないか。
「妖怪」は、日本に古くからいる異形の「キャラクター」ではない。

今改めて、過去の民芸研究の御大達、水木しげるの残したかった「妖怪」という文化を見直し、伝承していかなければいけないと思っている。


だいぶ本筋と話がそれたが、『平成たぬき合戦ぽんぽこ』という映画は、変わること変わらないこと、そして残さなければいけないこと、
それをジブリの素晴らしいアニメーションとストーリーテリングで楽しむことができる作品だった。