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映画感想:『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』と『俺の全て』


Before Sunrise - Original Theatrical Trailer

燃えるようなアバンチュール うすい胸を焦がす これが俺の全て

スピッツの名曲『俺のすべて』の歌詞の一部だ。

「アバンチュール」という言葉は、既に日本では死語となってしまっているが、本来はフランス語であり「冒険、珍しい経験」の意味を持つ。
ビフォア・サンセット』、本作はまさに「サンセット(日の出)」までのアバンチュールの話。


『俺の全て』の歌詞に沿って、本作を振り返りたいと思う。

燃えるようなアバンチュール うすい胸を焦がす これが俺のすべて

イーサン・ホーク演じるジェシーはスペインにいる彼女に会いにいくが別れることに。あとは帰るだけというからっぽ、うすっぺらい感情の中、ジュリー・デルピー演じるセリーヌが飛び込んでくる。知的な美人が隣で本を読んでいて、『マダム・エドワルダ』を読んでいる。それは、彼の胸を焦がすだろう。

※『マダム・エドワルダ』は哲学者バタイユの官能的な短編小説

歩き疲れて へたりこんだら崖っぷち

ジェシーセリーヌはひらすら歩き回る。
お金もない、時間もない。その限られた時間を可能な限り堪能しようとしているのだろうか。
夜中のウィーンを歩き回り、ついに公園の芝生にたどり着く。

そしてふと現実に目をやる。

「明日には別れなければならない」

そんな崖っぷちの現実を見てしまったジェシー
船の上で「今日限り」と2人で決めたばかりなのに。

微笑むように 白い野菊が咲いていた
心のひだに はさんだものは 隠さなくてもいいと
河のまん中 光る魚がおどけるようにはじけてる

そんな時にセリーヌを見ると、うっとりした情熱的な目線のセリーヌジェシーの方を見つめている。
「情動を抑えなくてもいい」と言わんばかりに。そして彼も彼女も一層夢に没入していく。

燃えるようなアバンチュール うすい胸を焦がす
そして今日も 沈む夕日を背にうけて


ビフォア・サンセット』というタイトルにあるように、
本作は彼が帰国する翌日まで、朝日が昇るまでの話だ。

例えば彼が帰国するまでに残り5日あったとしよう。
ここまで情熱的な夜を過ごすことができるだろうか。
否、1日もない時間だからこそ、燃えるよなアバンチュールになるのだ。

俺の前世は たぶんサギ師かまじない師
たぐりよせれば どいつも似たような顔ばかり
でかいパズルの あちらこちらに 描きこまれたルール
消えかけたキズ かきむしるほど おろかな恋に溺れたら

ジェシーセリーヌに「電車を降りよう」と口説く時に、こんな話をする。

「君は結婚していて今の夫に嫌気がさしている。
過去の色々な可能性を検証しないまま、そこまできてしまったので後悔している。
そして今君はタイムスリップしていて、もしかしたら結婚するかもしれない僕との関係を検証する機会を得ている。さあ一緒にウィーンを歩こうよ(確かこんな感じだったような)」

なんと情熱的な言葉、自分にはとても言えそうもない。

彼らはサギ師というより、どちらかというとまじない師だろう。
サギ師は現実を(嘘の)現実を語り、まじない師は夢を語るものだから。

燃えるようなアバンチュール 足の指もさわぐ
真夏よりも暑く 淡い夢の中で

彼らの時間は現実ではなく夢の中。
夜中のウィーンは情動的なのだが、彼らが去った後の朝の広場はゴミ収集車が走っていたり、
2人が座っていた道端のイスはただの古い木だったりする。

何も知らないおまえと ふれてるだけのキスをする
それだけで話は終わる 溶けて流れてく

饒舌だった彼らは、関係が深まるにつれて言葉少なになっていく。
言葉を発せずとも、感情が伝わるようになる。

燃えるようなアバンチュール うすい胸を焦がす
そして今日も 沈む夕日を背にうけて

山のようなジャンクフーズ 石の部屋で眠る
残りもの さぐる これが俺のすべて

そしてラストシーン、彼らは別れを惜しみ肉をむさぼるかのようなキスをする。
相手への感情を全て吐き出してしまわんばかりに。


洋画の邦題はたいていセンスのないものに改悪されていたりするのだが、本作の邦題はそういう意図かはわからないが、触れるべきテーマを含んでいる。<邦題>
『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)』 ※劇場公開時:『恋人までの距離(ディスタンス)』

距離と書いて、あえて「ディスタンス」と読ませるのはなぜか。原題には「distance」というワードは含まれていない。

人間関係において、距離はとても重要なものだ。
例えばジェシーセリーヌが隣町に住んでいたらどうだろうか。

「もう二度と会えないかもしれない。だからウィーンを歩こうよ」

ただの軽いナンパに思える。ジェシーが異国からきていて、明日には帰国するという「距離」が2人の関係を近づけた。
遠いのに、だからこそ近くなったという逆説的な距離のパワーである。

ただし、本当に遠くなってしまったら関係を深めるのが難しくなってしまう。
彼らが話をしていたように、電話や手紙は数回やり取りをして終わってしまうだろう。
だからと言って、現代のようにFacebookでつながるというのも、何とも味気ない。
ソーシャルメディアは現実的すぎて、恋人同士の関係を深めるような情熱的なものではない。


そんな絶妙で時間が限定された距離感を感じながら、自分とそのまわりの人との距離感を考えたり、今までの出会いを思い起こしたりするのが本作の楽しみ方ではないだろうか。

果たして彼らの距離(ディスタンス)はどうなっていくのか。
2作目、3作目を楽しみたいと思う。