映画感想:『ニュー・シネマ・パラダイス』は映画好きのための映画


映画「ニュー・シネマ・パラダイス完全オリジナル版」日本版劇場予告


映画好きの映画好きによる映画好きのための映画。

タイトルは『ニュー・シネマ・パラダイス(イタリア原題:Nuovo Cinema Pradiso』)』、映画好きのパラダイスのような映画なのだ。


まず音楽が良い。

音楽が良い映画は良い映画だ思う。例えば『ゴッドファーザー』。『ゴッドファーザー』に音楽がなかったら、静かにすたれゆくマフィアの物語にただただ悲しい話になってしまう。そこに哀愁のある音楽があるために、『ゴッドファーザー』は名作なのである。

本作も音楽がとても良い。
作品全体にあるノスタルジックな雰囲気に音楽がマッチしている。優しく、愛情があふれていて、そして未来への希望がある音楽。去年からの流行りで「音楽生演奏映画」というものがあるが『ニュー・シネマ・パラダイス』があれば行ってみたい。


Ennio Morricone: Cinema Paradiso with Gimnazija Kranj Symphony Orchestra



出演者も良い。
主人公トトの少年時代を演じたのは、現地シチリアで生まれ育ったカシオ少年。演技っぽくなく、純粋に映画が好きな少年の役柄にぴったりだ。彼の映画を観ている時の笑顔がとても魅力的である。映画好きのあらゆる年代の人が、彼の笑顔を見て自分の原点を思い出すだろう。「ああ映画って良いものだ」と。「映画とは、至高の娯楽」なんだと。


また映画を観る姿勢についても考えさせられる。
現代の映画館で映画を観るときは「静かに、音を立てずに観なければならない」とされている。観客は面白くってたまらないシーンでも笑い声をあげてはいけないし、悲しくて仕方ないシーンで嗚咽をもらしてもいけない。演奏シーンがあったとして演奏後に拍手をしてもいけない。隣に座っている恋人に、ちょっとした感想を話すのもルール違反だ。
本作中の映画館、シチリア島の映画館ではそんなルールなど存在しない。子どもたちは面白いシーンでは大声を出して笑い、大人たちはキスシーンがカットされた場面で大きなため息をつく。何度も同じ映画を観たおじさんはその映画のストーリーを口に出してしまう。とにかく自由だ。

かつて自分が訪れたインドの映画館もそうだった。ちょっとした感想を語りたい場面では隣の人に平気で話しかける。電話に出る人もいる。ヒンドゥー語はわからなかったが「よお、悪いけど今映画観てるけど後にしてくれる?え?ふられた?それは大変だ!」なんてこと話してるんだろう。
いつの間にか映画は静かに観る神聖なものになってしまったが(日本人の国民性もあるだろうが)、実際に声は出さないまでも、声を出さざるを得ないほど感情をゆさぶられるものだという映画の本質を思い出させてくれる。


最後に、これはもう何千回、何万回と語られたであろうが、ラストシーンは映画史に残る屈指の名シーンだと思う。

本作は、観ている間に終止目が離せないほどのシーンが続くわけではない。初見では「名作と言われているけど、それは過大評価なんじゃないか?確かにトト少年の映画を楽しむシーンとかはいいけど…」と思ってしまうほど、中だるみと感じてしまうところもある。自分が観たのはオリジナルバージョンだが、完全版だと3時間近くあり、ラストシーンまでが長い。

ただ、それまでのすべてがここにつながっているのだと思えるワンシーンであり、そこまで観て良かったと心の底から思える。
涙、涙、映画好きなら感動せざるを得ない。「映画とは、かくも素晴らしいものなのだ」という感情があふれてくる。

名前負けしてしまいそうなタイトルである『ニュー・シネマ・パラダイス(イタリア原題:Nuovo Cinema Pradiso』)』。
名前負けは全くしていない。むしろ、この映画のためのこのタイトル、である。


こんな映画に出会えるから映画好きはやめられない。