映画感想:『レヴェナント』からポジティブな教訓を導き出してみた


映画「レヴェナント:蘇えりし者」予告1(150秒) アカデミー賞主要3部門受賞

これは見事なゾンビ映画

映画タイトルは『レヴェナント(The Revenant)』。直訳すると、帰ってきた人、亡霊、幽霊という意味である。

まさにその通りで、レオナルド・ディカプリオ演じるグラスは、熊に襲われ大けがをし、生き埋めにされそうになりながら、復習のためにアメリカ北西部の極寒地帯を突き進む。いつ死んでも、いつ生きることを諦めてもおかしくはない状況で、復讐のために生にしがみつく姿はまさに亡霊や幽霊。

傷口を火をおこして焼いたり、パイソンの臓物を生で食したり、死んだ馬のお腹の中で一夜を過ごす姿はすまさまじい。

また、彼の生きる目的は「復讐すること」。自分や家族の生を目的としないことは、本質的に(動物的な観点では)生きていることにはならない。


アラスカを中心に活動をしていた星野道夫さんの『旅をする木』というタイトルのエッセイにこんな話がある。


”日々生きているということは、あたりまえのことではなくて、実は奇跡的なことのような気がします。つきつめていけば、今自分の心臓が、ドク、ドクと動いていることさえそうです、人がこの世に生まれてくることにしてもまた同じです、妻が流産するかもしれないという不安の中で、やはり生命が内包するもろさをぼくは感じました。

「流産をする時は、どうやってもしてしまうものよ。自然のことなんだから、それにまかせなさい」

と言った妻の母親のひと言ほど、私たちを安心させてくれる言葉はありませんでした。そういう脆さの中で私たちは生きているということ、言いかえれば、ある限界の中で人間は生かされているのだということを、ともすると忘れがちのような気がします。” 『春の知らせ』より


それ(死)を医学の力で克服しようとするのが人間であり、また自らの復讐のために生きようとするのが人間だ。

劇中で、原住民が白人のことを「野蛮人は野蛮人だ」と言っている。
野蛮人とはすなわち自然の摂理に従わない動物=人間のことであり、その最たるが、グラスなんだろう。毛皮のために原住民のテリトリーを侵害し動物を狩る白人もそうだが、本来死すべき状況だったところを執念で生きるグラスは、圧倒的な自然との対比された形で描かれている。

「そこまでして…」そう思うのは不自然だからだ。彼の生は、不自然なのである。

ただ、人間の強さもそこにある。自然の摂理に必死に抵抗してきたからこそ、ここまで文明が発展し、また平均寿命が1,000年前の倍以上にまで伸びているのである。

いかに人間が自然の摂理から背いているか、ということを自覚するのは非常に良い作品なのではないだろうか。

ただ、だからと言って「自然に帰る」ということを主張したいのではない。自らの存在の不自然さを自覚しているのとしていないのとでは、例えば自然災害に遭遇したりした時に、慌てることなく、ポジティブな締念から前向きな気持ちを持つことができるのではないか。

日本という自然災害の多い国では、そういった見方をしてみても良いのではないだろうか。