映画感想:『アデル、ブルーは熱い色』は、アデルの半開きの口で全て語れる


アデル、ブルーは熱い色


恋人同士、家族の人間関係って、どう表現したらよいのだろうか。

自分は、よく「曲線的なベクトル」をイメージする。

一人一人自分の人生のベクトルを持っていて、人と人が関係を持つときに、それが絡み始める。
絡み方は様々だ。つかず離れずのカップルであれば、2人のゆるやかな曲線が伸びていく中、時折それらが絡む。
本作のように短時間で激しい感情をぶつけ合うような関係性においては、曲線は激しく絡み合う。

そして長く関係が続くということは、波形が近いということではないか。
人生の波形が合わない場合、2本の曲線的なベクトルは絡むことができなくなり、関係がなくなっていく。


この映画を観て、そんなイメージが思い起こされた。


アデルは高校生、あどけない顔をしていて感情的。よく食べて、寝て、そして恋をする。
エマは美術系の大学に通う大学生、落ち着いていて、自分のことをよくわかっている。

2人はたまたま出会い、そして恋をする。激しく燃えるような恋をした。
ただそれも長くは続かない。2人のベクトルが違う方向に向いてしまったから。

エマは大学を卒業し、創作の道を追求する。
アデルは高校を卒業して先生になるが、まだ若く精神的に独り立ちをしていない。
そんな2人のベクトルは交わらなくなり、そして関係性は崩壊していく。


そんな人生の一時期を切り取ったのが本作だが、エマとアデルを演じる2人の演技が素晴らしい。特にアデルを演じるアデル・エグザルホプロスの演技に惹かれる。化粧っけのない顔、常に半開きの口、何か深く考えているようで若さ故の迷いによる憂いの表情。そしてレズSEXシーン。役が憑依すると言うが、まさにその通り。アデル・エグザルホプロスはアデルそのものだった。


人生とある時期における激しい恋の作品は数あれど、ここまで本能的で自然な作品は今まで観たことがない。かつての自分に重ね合わせてもよし、今の自分と恋人・家族のベクトルはどうなっているんだろうと考えるのもよい。何にせよ、アデルに感情を揺さぶられるのは間違いない。