映画感想:『リップヴァンヴィンクルの花嫁』で岩井俊二が切り取る"一瞬"


『リップヴァンウィンクルの花嫁』予告編

岩井俊二はフォトグラファー的な映画監督だと思う。

"一瞬"を切り取る作品であるように感じる。

リリィ・シュシュのすべて』では、「大人になる前の少年、少女」だ。
インターネットという時代性を絡め、その年代特有の人間の儚さ、残酷さ、美しさ、そういった相反する側面を描いている。
岩井俊二の作品は、優しい視点と残酷な視点のどちらかで切り取られるものだが、『リリィ・シュシュのすべて』は後者だ。

四月物語』では、「大人に片足を突っ込んでいる大学生」だ。
"春"という季節性を絡め、その時期特有の甘酸っぱさを描いている。
四月物語』は、優しい視点の作品だ。


『リップヴァンヴィンクルの花嫁』はどうだろう。
本作は何の"一瞬"を切り取った作品なのか。

それを語るには、Cocco演じるリップヴァンヴィンクルこと里中真白の考えを理解しなければならない。

彼女は作中でこういう発言をしていた。

「この世界はさ、本当は幸せだらけなんだよ」

しかし彼女はその幸せを掴もうとしない。なぜか。
それは、彼女が幸せが壊れることを恐れているからだと思う。
彼女の人生は、基本的に「幸せ」ではなかった。
少しよくなる予兆があったとしても、また元に戻ってしまう。
いつしかこう思うようになる。

「結局、(不幸せな状態に)戻ってしまう」

そして幸せから逃げるようになる。
幸せの予兆があったとしても、それを失うことが怖いがために自分から逃げてしまう。
期待もせず、暗い部屋の中から抜け出すことができない毎日を過ごしている。


そんな彼女が最後に望んだことは、「自分が想像する幸せの絶頂において死ぬこと」だ。
黒木華演じる皆川七海との関係、友達と結婚、だったのである。


『リップヴァンヴィンクルの花嫁』で岩井俊二が切り取った一瞬。
それは、1人の女性の人生における"最高の幸せ"だったのだと思う。


3時間という長さのある作品だが、その一瞬を際立たせるために必要な長さだったのだろう。



最後に、本作は優しい視点と残酷な視点、どちらの視点の作品だろうか。
私は前者、優しい視点の作品だと思う。


真白のような「幸せから逃げてしまう人」が暗闇から抜け出すにはどうすればいいのか。
それは、特定の人ではなく、社会全体が優しくなることだと思う。

綾野剛演じる安室行舛は(自分の金銭メリットがあることも大きいが)、彼女の願いをかなえた。
夏目ナナ演じる恒吉冴子は、彼女に辛い仕事を辞めろともやった方がいいとも言わない。
皆川七海は、何も求めず彼女に寄り添った。

それぞれに事情があり、考えも色々あるだろう。しかし彼ら彼女らが真白に向ける視線は優しい。

人が暗闇から抜け出すには、支えになっている1人がダメになったらもう救いがないというのではなく、
彼ら彼女らのように不特定多数の優しさが必要なのだと思う。


そんな岩井俊二の優しい視点(あるいは優しくありたいという願望)を感じた。