映画感想:宇宙、女性、黒人のフロンティア=『ドリーム』


映画『ドリーム』予告A

SFや本作のような宇宙に関連した映画(本作はScience Non-Fiction)はなぜこうも魅力的なのだろうか。


それは、宇宙が人間にとって、一番未知の領域であるからではないだろうか。
例えば、地球の自然の脅威に関する作品は多く存在する。異常気象の話だったり、未踏の地の冒険潭だったり。ただし、それらは想像することはできる。結末は自然の偉大さや脅威であって、それは自明のこと。全く想像できないことはない。

また、人間の脳に関する話に関する作品も多く存在する。「自分は強い」という妄想が表出する作品(『ファイトクラブ』)や、行き過ぎた欲求・欲望を描いた作品など、切り口はたくさんある。そして、それらも、実感として理解をすることはできないかもしれないが「そういうことを考えたり、そういう状態になってしまう人がいるんだろうな」を想像することはできる。


ただ宇宙は違う。


ほんの数百年前は地球が球体だとすら考えられていなかった。ましてや今の宇宙の存在など、誰も確信を持った形で説明することはできなかっただろう。
これだけ科学が進歩した現代においても、地球外生命体の存在は実証(反証も)されていない。
今ある説と全く違う宇宙の実態が発見される可能性もある。

宇宙とは「究極のフロンティア」であり、それはとても魅力的である。


また本作は「数学者(科学者、エンジニア)の功績」を扱っている点が、その魅力を助長させているのではないだろうか。
猿から進化した人間が、その脳を使うことで宇宙に行って、そして帰ってこれてしまうのだ。叡智とはこのことである。


ここで本作の概要を。

アメリカとソ連が宇宙開発競争を繰り広げていた時代。3人の優秀な黒人女性はNASAで働いていた。
数学者のキャサリンはスペース・タスク・グループへの異動するもトイレは別、コーヒも別と差別的な扱いを受けている。
メアリーは技術部へ異動するもエンジニアになるには白人専用の学校の学位という高いハードルに直面している
リーダー格のドロシーは、管理職への昇進を直訴するも、黒人管理職の前例がないと却下されてしまう。
彼女らは、女性であること、黒人であることにより差別的な扱いを受けるが、ひたむきな努力、諦めない精神により徐々に認められていく。
そんなストーリーだ。

そんな「女性の権利」「黒人の権利」と「宇宙」というフロンティアが相まって、より深い感動を与えてくる作品になっている。


本作の大きなテーマである「女性の権利「黒人の権利」に関しては、1つ劇中のシーンを紹介したい。

メアリーは裁判所に直訴し、大学への入学を許可される。
ただそれは夜間学校への入学であり、夫へ「帰りがかなり遅くなりそう」と告げる場面だ。

夫は静かに彼女の前にひざまずいて「芯を挿入する形式の最新式の鉛筆」を手渡した。
特にものすごくフューチャーされている場面ではないだろうが、個人的にはグッときてしまった。
もし自分がその立場になったとして、静かに鉛筆を渡せるような存在でありたいものだと。


最期に余談を1つ。


グロービス経営大学院が主催している、あすか会議2017内の公園 第8部全体会「テクノベートが変える社会」にて、筑波大学助教授の落合陽一氏がこんなことを語っていた。

「(超ひも理論で有名な日本の物理学者である)大栗博司先生に、”大栗ラボってどんな風に会話してるんですか〜?って聞いてみたんすよ。そしてら、(大栗先生は)”ああ、数式”って(笑)」


www.youtube.com
※該当箇所は38:47付近


天才的な数学者、科学者の集団だったNASA(特にスペース・タスク・ルーム)において、どうしてキャサリンは差別的な扱いを受けてしまったのだろう。
数式で語れなかったのだろうか。

数式で語れるはずの彼らでさえそうなのだ。つくづく、良くも悪くも人間は社会的な生き物なんだなと、大栗先生の話を思い出しながら感じた。


話が少しそれたが、人生に対する活力が増す作品である。
自分は、今後どんなフロンティアを開拓できるのだろうか。それがとても楽しみになった。