映画感想:『マンチャスター・バイ・ザ・シ-』とアメちゃん


アカデミー主演男優賞受賞『マンチェスター・バイ・ザ・シー』予告編

過去に何かしらの事件があって闇を抱えている人物が、新しい出会いによって救われる。

そんな話はたくさんある。

多くの作品は、作中の前半の状態から変化するのが普通だ。
幸せだったのが転落しバッドエンド。
不幸せだったのが希望が見えハッピーエンド。


そんな作品を見た人の中にはこう言う人もいるだろう。

「そんなことは映画の中の話だ。現実はもっと厳しい」


そして本作の現実も厳しい。

ケイシー・アフレック演じるリーは兄を亡くし、かつて自分が住んでいた町マンチェスター・バイ・ザ・シー(イギリスのマンチェスターではない)に帰ってくる。
兄には息子がおり、しばらくリーと同居することになるが、リーは過去のとある出来事により深い闇を抱えており、中々他人、甥にさえも心を開くことはない。

よくある映画のストーリーであれば「甥がリーに良い影響を与え、ぶつかりながらもリーは過去を克服する」という話だろうが、本作はそうはいかない。

多少は前向きにはなるものの、リーは最後まで過去を克服することはできない。


それが現実なのである。人は、そう簡単に精神的な傷を克服することはできない。
ただ、だからといって、諦念を持ち開き直るということもないと思う。


吉田秋生『海街dialy』5巻にこんなシーンがある。
3姉妹の長女幸(看護師)が、町の喫茶店店主に話をするシーンである。


当事者に寄りそおうとするのと、当事者になるのでは、天と地ほどにも違いました
ガンの疑いがわかってからなんだか家族とも距離ができてしまったみたいで
もちろん私が勝手にそう感じただけですけど


病気になったっていうだけで…住む世界が違ってしまったみたいで…
患者になるってこういうことなんだって
はじめてわかった気がしました


少しでも患者さんの心に寄りそえたら…って思っていたつもりでしたけど
しょせんひとごとだったんですね
傲慢でした


店主
ひとごとでかまわんのとちゃう?


看病するもんが病人といっしょにヘタレてしもたら困るのは病人や
しょせん代わりに痛い思いをしてやることも死んでやることもできひんのやし


目の前でばったんコケよったもんがおったら
どないしたー
大丈夫かー
ぐらいはマトモな奴なら誰でも言うわ


あんたらの仕事も根っこはおんなしちゃうの?


大阪のおばちゃんやったら
アメちゃんあるで―――
なめとき―――って
よーわからんこと言うかもしれへんな



アメちゃんですか…


店主
そーや
けどアレであんがい役に立つもんやで


病気は治らへんでも
アメちゃんでもなめとこかなー
思うこともあるよってな


店主の言うとおりいっしょに痛い思いをすることはできないし、そのつらさの半分を引き取ることもできない。
ただ、何もできないかというとそういうわけではなく「アメちゃんを差し出すこと」はできるのだ。


リーは長い時間がたっても、立ち直ることはできていない。
しかし徐々に前向きにはなっている。

彼の甥の「(若い)生きる力」が彼にとってのアメちゃんであり、
それによって過去を完全に振り切ることはできないまでも「まあ、ちょっとがんばって生きてみようかな」といった心情に変化しているのではないか。

その積み重ねなんだと思う。
弱っている当事者にひっぱられない周囲の人の生のエネルギーが、レリジエンスを強化していく。
それが積み重なることで、人は立ち直っていくのだと思う。


終始暗い雰囲気ではあるものの、リーが立ち直る萌芽も見え前向きな作品であると感じた。