映画感想:『エクス・マキナ』はタブーを考えさせてくれる

エクス・マキナ (字幕版)

製作費約14億円と低予算ながら、2015年アカデミー賞の視覚効果賞を受賞した話題作。
低予算だとは思えない独特の雰囲気があり、人里離れた山奥の設定ながら近未来を感じさせる。


トーリーとしては、特段派手な演出(人間vsAIの知能戦など)があるわけでない。
本作で突出しているのは、アリシア・ヴィキャンデル演じるエヴァ(AI搭載人型ロボット)の不気味さだろう。途中までは人間に従順で成長段階の、ある種子どもや小動物に対する愛しさと同じような感情を抱かせるようなキャラクターなのだが、終盤では一変する。
何が一番おそろしいかと言うと「人間の論理が通用しない」ということだと思う。


エヴァ開発者のケイレブはそれをある程度理解していたため、エヴァが外に出れないよう隔離している。
一方で招待者のネイサンはそのことを理解しておらず、エヴァに特殊な感情を抱いてしまった。しかしエヴァは独自の論理で動いているため、ネイサンが「エヴァが考えているであろう」ということに沿った行動をしない。
そしてAIに裏切られるクライマックスに向っていく。


『新・リーダー論 大格差時代のインテリジェンス(著:池上彰佐藤優)』にこのような一節がある。

新・リーダー論大格差時代のインテリジェンス (文春新書)


”社会にはタブーも必要です。…ある種のタブーが存在する社会の方が良い社会なのです。”
”「生命は何にも代えがたい」という戦後日本の生命至上主義は、理屈を超えたものです。いわば一種のタブーです。”

もちろんAIには、こういった「論理を超えたタブー」を自ら導くことはできない。
AIの元となる数式にあてはめることができないものだから。


本作は、そういった「人間の論理やタブーとは違う原則でAIは考え行動する」ということを、
余計な要素を排除したストーリー、静かな映像美で実感させてくれる作品だった。