映画感想:『カッコーの巣の上で』は未来への警鐘を鳴らしてくれる
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ジャック・ニコルソン出演作は鑑賞したことがなく、ずっとシャイニングジャケット画のイメージだった(恐ろしい顔…)。
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本作のジャック・ニコルソンことマクマーフィーは、世間的には悪いやつではあるのだが、病院の患者に対する彼は無邪気な少年のようで、くしゃっとしたいい笑顔をする。彼は本作でアカデミー賞主演男優賞を取っている。
刑務所での強制労働がいやなマクマーフィーは、精神病であるふりをし精神病院に入ることになる。
元気であるマクマーフィーは、内気になりがちな精神病患者に彼らが持ちようがない型破りな考え方を提示し、人生の楽しみ方を教える。
一方で、厳格な看護婦長のエリスは徹底的に管理しようとする。そうすることが患者にとってよいこと、幸せであると決めつけ、他の選択肢を与えようとしない。患者も、何か新しく行動をおこしたり、新しい考えを持つことにストレスを持ってしまう傾向があるため、エリスの方針に抵抗をすることはない。
ただ、厳格な看護婦長エリス(演者のマイケル・ベリーマンは、本作でアカデミー主演女優賞をとった)はマクマーフィーのやり方に真っ向から反対し、最終的にマクマーフィーは粛清されてしまう。
本作で救いの持てるところは、粛清されるところで終わらないところだ。
マクマーフィーの意志を告ぐ人物が、精神病院(カッコーの巣)から脱出する。自由の喜びに溢れる希望の持てるラストシーンで締めくくられる。
監督であるミロス・フォアマンの両親は、ナチス政権下で政府に殺されている。ナチス政権とは、ヒトラーの独裁政権である。ただし、当時の人々がそうだと思っていたかというと、むしろ良い政権だと思っている人の方が多かったのだろう。公共事業で景気を良くし、第一次世界大戦後の不況を克服する政権だった。
人々の目線を外から内に向けさせ、政府の管理下におく。それに抵抗する、そこからはみだす者には粛清を与える。本作と同様の構造ではないだろうか。
また。2017年現在、同様の構造が生まれつつある。各国で今まで見向きもされなかった極右政党が議席を獲得し、ポピュリストに人気が集まっている。外向きであることが利益につながると提示していた政権が現状打破できないでいるところを「内に向いて、皆で頑張っていこう」と不安な人々に迎合する発言で人気をひきつける。
そんな現代において、本作は「井の中の蛙」の怖さ、その気づきを与えてくれるのではないだろうか。
ただし、単純に新しい視点や考えを取り入れればいいというものでもない。マクマーフィーのしたこととその難しさに触れておきたい、
マクマーフィーのしたことは、一種のショック療法だと言うことができる。自分の世界という1つの価値観に閉じこもっている精神病の患者たちに対して、ベースボールや釣り、酒、女の喜び、病院の住人が知らない人生の喜びを気の赴くままに差し出していく。
住人たちは喜び、彼らと外の世界を区切る壁は徐々に瓦解していった。
しかしそんな中、1人の患者が不幸なことをおこしてしまう。絶頂からのどん底、彼はなぜそうなってしまったのか。
元々持っていた彼の世界にマクマーフィーが持ち込んできた世界が入り込んできたことで、彼はダブルスタンダードになってしまったのだと思う。2つの基準を持てるほど強くはなく、相反する感情を抱えてしまった彼は壊れてしまった。
どうすればよかったのか。
今の世界の状況と同様に答えはない。
もう少し時間をかけて境界を超えていければ違ったのかもしれない。必ずうまくいくとは限らないが、可能性は高くなるように思う。
余裕がないと、どうしても視野が狭くなってしまうものである。余裕がなく不寛容さが広がっていく世界で1人1人ができることは、できるだけ自分の境界を壊そうと試み、他者との対話を通じて相手の境界も少しずつ融解することを試み続けることではないだろうか。
42年前の作品だが、普遍的なテーマを扱っている、これからも観られ続けるであろう作品だった。