映画感想:『コンタクト』は夢を追いかける話
- 出版社/メーカー: ワーナー・ホーム・ビデオ
- 発売日: 2011/09/07
- メディア: DVD
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もう数年で公開されてから20年たつSF映画。主演は、ジョディ・フォスターである。
ジョディ・フォスター演じるエリーが地球外生命体の研究(SETIプロジェクト)をしており、
それをめぐり人類と宗教、科学、政治、地球外生命などの複数テーマを扱った作品となっている。
ただ自分は、この映画の一番のテーマは「夢を追い求めること」だと思っている。
可能性を信じ打ち込むこと、希望を持つこと、そしてさらなる可能性に向かうラスト。
映画の中でエリーは、地球外生命体を実証することはできなかった。
ただ「夢を追い求めた結果、大きな可能性を見た」ということが重要なのではないか。
最後の場面、彼女が子たちへの課外授業をしている場面がある。
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子ども「宇宙人はいるの?」
エリー「いい質問ね。どう思う?」
子ども「わからないよ」
エリー「いい答えだわ、科学的よ。大切なのは自分で答えを探すことなのよ」
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夢を持ち、ただ持つだけではなく(時には科学的な態度で)地道に探求をし続ける。
夢を追い求めることと、その希望を表現した映画でした。
映画感想:『スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒』
旧作ファンのための映画
今までのスターウォーズとは大きく関連のない新作を現在の映像技術を使うことで、ハイクオリティの映画を作ることもできただろう。
近年公開の『インタステラー』や『ゼロ・グラビティ』などは、その技術を存分に使い、宇宙の果てしなさや夢、絶望感を表現している。
ただ今回のスターウォーズは、明らかに前作まで(特にep4~6)のファンに向けて作成をされていた。
過去作品のオマージュ、ハン・ソロの活躍、ep4~6から続けて見ても大きく違和感のない映像の(良い意味での)チープさ。
ep4~6を見た後に本作を見ても違和感がない形になっている。
続編の多くは「やっぱり~が一番良かった」となりがちだが「本作は世界的人気作品の22年ごしの続編」という制約の中で、期待を裏切らない形で作られていると思う。
何が求められているかを徹底的に調査の上、作られたのだろう。
スターウォーズと人種
また黒人がスターォーズの中でクローズアップされるのは2役目だろうと思う(ep1~3のメイス・ウィンドゥに続いて)。
アメリカでは色々な声が上がっているのではないかと調べてみると、やはり一部の人たちから「#BoycottStarWarsVII」というハッシュタグで批判運動が起きていたようだ
(最終的にレイシスト批判と大喜利に発展した様子)。
旧3部作が公開されたのが20年前でその流れを踏襲している形だとは思うが、宇宙という国境も人種も関係ない中でほとんど白人しか出ない映像は若干違和感がある。
そもそもアジア人は、中心人物として登場すらしていない…
次回作に期待!
episode8の公開は1.5年後。
ep4~6と同じ流れになりそうな気がしないでもないが、次回からはルークもストーリーに大きく絡んでくるであろうし、新しい展開に期待。
音博2014 (今更ながらくるりまで)
くるりの主催するフェス、京都音楽博覧会。
2014年、第8回目の開催に書きかけだったのでその続き。
【椎名林檎】
野外での椎名林檎は貴重ではないだろうか。
一体どんな雰囲気で、どんな音楽を聞かせてくれるのだろうかと非常に楽しみだった。
tofubeatsが終わるとイスがいくつか並べられ、おじさんがぞろぞろと出てきた。
その中に1人、見たことのある人がいるかと思えば斎藤ネコ。
そして登場の椎名林檎は浴衣を身につけている。
弦楽カルテットにピアノとアコーディオンを加えた、和服の楽団編成である。
1曲目はカルテット調の『いろはにほへと』。
挨拶もそこそこに「ここでゲストシンガーを」という言葉の後に登場したのは、音博常連の石川さゆり。
「石川さゆりさんをイメージして作った」という『カーネーション』、椎名林檎が石川さゆりに提供した『名うての泥棒猫』『最果てが見たい』を歌った。3曲続けての「椎名林檎×石川さゆり」である。
石川さゆりが歌う姿というものを生で初めて見たのだが、正直驚いた。すごすぎる。圧巻の一言。
日本を代表する歌手の1人だから当たり前といえばそれまでだが、そんな言葉では言い表せない歌唱力だった。
3曲を歌い終わり石川さゆりは退場。そこからは歌い手椎名林檎のオンステージである。
『丸の内サディスティック』『歌舞伎町の女王』 『NIPPON』 『ありあまる富』と昔の曲から今年の曲までを歌う。もう何百回と歌ったであろう『丸の内サディスティック』の歌詞を間違えて「あ、間違えた」と言う場面があったり、『歌舞伎町の女王』 間奏部分で口笛を吹いたりと、普段の椎名林檎のLIVEでは少し見られないステージだった。
また椎名林檎といえば夜&室内のイメージだが、昼間&屋外のステージも音博ならではということで、ここでしか見られないものではなかっただろうか。本人はまぶしくて歌いにくそうだったけれど。
【くるり】
ペンギンカフェの演奏が終わり、いよいよ大トリのくるりの登場。
ドラムが2人いたりと、総勢10人の大くるりでの登場だった。
最初の曲は、音博の直前の9月頭に発売した『THE PIER』の1曲目『2034』。
打ち込みの音から始まり、途中から一斉にバンドの音が入る。
その後、『THE PIER』収録『日本海』『Brose&Butter』『Liberty&Gravity』の3曲を演奏。
ステージの横で、トミ・レブレロが聞いていたが、無国籍な曲である『Liberty&Gravity』を聞いてどう思ったのか気になるところ。
くるり-Liberty&Gravity / Quruli-Liberty&Gravity - YouTube
そこからの5曲は新旧織り交ぜ『TIME』『三日月』『ジュビリー』『グッドモーニング『Loveless』を演奏。
アンコール前の最後の曲は『東京』だ。
『東京』はLIVEではよく演奏される曲だけど、音博では珍しいんだとか。
『東京』は東京に出た時に作られた時の曲だが、少し前、くるりは京都に戻ってきていた。
それが「ファンファンを1回上京させたかったため」また東京に引っ越した。親心ではないけれど、岸田さんと佐藤さんの思いやり。
そしてアンコール1曲目は「rei harakamiと佐久間正英に捧げたいと思います」と言う言葉から演奏された『There is(always light) 』。
くるり-There is(always light) / Quruli-There is(always light ...
さよなら
別れは つらいものだとして
ありふれたもので 溢れかえる
暮らしを捨てて行くの 何処へ海鳴りのする方
便り出せば 届くそんな時代に 生まれたんだよ 僕らは 大したことはないさよなら やっぱりね 抜け殻だよ僕ら
あなたが残した 音楽も台詞も全然
普段使い新しい景色にも困難多き時代にも響く
最後はメンバーの3人だけ残って、恒例の『宿はなし』。
今は京都にいるわはないくるり。そして今住んでいる東京からも、LIVEなどで離れることが多い。
そんな「宿のない」彼らの一年に一回帰ってこれる場所が、京都音博なのである。
今回の音博は、昨年までの音博以上に音博らしい音博だった。
アルゼンチンからレバノン、イギリスまで。博覧会という名前にふさわしい顔ぶれだった。
くるりのファンの人も、京都に住んでいるから来てみたという人も、自分の知らない音楽に出会うことができるこの場は貴重で素晴らしいものだと思った。
またトミ・ロブレロがくるりの演奏を熱心に聞いていたと書いたけれど、そんな風に外国の人に、日本の音楽が広がったり、あるいは逆もそうだけれど、もっと相互交流できればいいんじゃないかと素人なりに思った。
2015年音博があったら行くか。もちろん行くだろう。
例えくるり以外のアーティストを知らなくとも、それが音博の醍醐味なのだから、くるりが出ないことがない限り参加は必須である。今年も楽しみだ。
マック問題に直面しつつ仕事をしている
「魂は細部に宿る」
元々は「God is in the details(神は細部に宿る)」という言葉だったのだが、
20世紀を代表する近代建築の巨匠、ミース・ファン・デル・ローエの言葉だそうだ。
近頃、仕事でこの言葉が思い出されることが多い。
疑心暗鬼
昨年、クライアントに提出するデータに複数回にわたって不備が見つかったことがあった。
大きな意思決定に不備ということではないのだが、間違いは間違いだ。
それからクライアントのデータに対する見方が変わり、直接意思決定や成果につながることのない
細かな点まで追求されるようになった。
コピーライトの年
普段は代理店という立場上、自分で資料を作りクライアントに提出することがほとんどなのだが、
媒体社との打ち合わせで、媒体から資料を受け取る場面もある。
ある日媒体社1年目の社員が営業に来る機会があったので話を聞いていた。
その資料を見て驚いた。ページ数がついていなかったり、Copyrightが昨年のままだったりと、些細な部分ではあるものの、資料の不備が目立つ。資料自体の内容に関係ないのだが、そういったことが、相手への信頼性を大きく損ねる。
マックの話題
近頃マクドナルドでの「ポテトフライへの歯の混入事件」においても考えてみる。
一度「歯がポテトフライに混入していること」が騒動になった後、次々とメディアが取り上げ、
今まではあまり追求されることのなかったことが苦情としてマクドナルドに押し寄せている
(あるいは表に出てきていなかっただけかもしれないが)。
この状態になってしまうと、マックで何かを食べるほとんどの人がその事件を思い出し、
食品の状態に対していつもよりも注意を払うようになる。
疑い出したらきりがない。
「疑心暗鬼」という言葉がぴったりなのだが、普段見えていないものでも、一度その存在を意識し疑い出してしまうと気になってしょうがない。極端な言い方をすれば「あら探し」のようになってしまい生産性のない事態になってしまう。
だからこそ細部まで最新の注意を払うべきだという実感を改めて感じている。
もちろん見逃すこともできる。
ただ互いの信頼関係がしっかりと構築できていない状態では、細部のミスが表面化してしまうと、全体の信頼が落ちてしまう。信頼というのは築きあげるのは難しくかつ時間がかかるが、壊すのは一瞬で簡単だ。
「いやいや、寛容さを持って物事を見なさいよ」という考え方もあるだろう。
ミスの度合いが違うが、下記記事のようなことがあった。
ニッセンがTwitterで誤字→公式アカウントがよってたかって協力して1日で「激怒Tシャツ」商品化決定 - ねとらぼ
良い寛容さ、遊び心の一例だと思う。
ミスに対してそれを笑いで許す寛容さ。
日本には、もっとこういうスタンスが必要なように思える。
ただ、相手の何を信頼していいか何を信頼してはいけないかがわからない状態では、遊び心も何もない。まずはベースとなる信頼関係を築いてこその寛容さなのだと思う。
感想|映画『ゴーンガール』
デヴィッド・フィンチャー監督作品の鑑賞は、『ファイト・クラブ』『ベンジャミン・バトン』に次ぐ3作品目。結末の衝撃度で言ったら『ファイト・クラブ』は今まで見た映画の中でも飛び抜けて高く、『ゴーンガール』にも期待が高まる。
【あらすじ】
結婚5周年の記念日、ミズーリ州の片田舎に暮らすニック・ダン(ベン・アフレック)は、
外出先から家に帰ると妻エイミー(ロザムンド・パイク)が失踪したことを見つける。美男美女のカップル、かつエイミーは有名な作家の娘ということもあり、大規模な操作に発展する。調査が進むにつれて、ダンにに不利な証拠が次々に見つかり、やがて世間からは妻殺害の容疑者扱いされてしまう。
この映画は、見る人が未婚か既婚か、男か女かによって、感想が大きく変わってくる映画である。
「結婚」というキーワードが大きく関わってくるため、既婚の人は大きく衝撃を受けるかと。
未婚の自分としては、リアルな実感をもって怖さを感じることはできなかった。
かと言って、未来の結婚に対して悲観的になることもなかった。幻想を抱きすぎ、とも思う。
ミステリー映画としては面白かった。エンターテインメントとしては、未婚既婚男女に関わらず面白いと思う。半ばで大きなネタばらしをされ、鑑賞者が進むと予測していたであろう展開が大きく崩れる。またラストにも大きな展開が変わり、全体の主題が明らかになっていく。。
単純に語るのであれば、
「ちやほやしてくれないと嫌な妻と、ちょっとクズな夫が結婚したために起きた悲劇的なドラマ」
になるだろうが、他の大きな切り口で語れる映画でもある。
結婚、夫婦という他者。。
「結婚とはこういうことよ」
というエイミーが最後に語る言葉が、全てを物語っている。
人間誰しも「演じる」ことで生きているんだろうけど、それが一生続くのが結婚。
その「自分の態度、言葉、感情についての、演じている割合」が、夫婦の関係性に大きく関わってくるのだろう。
20代の自分が見ても面白かったが、
やっぱり、既婚の30-40代が見るのが一番面白く、かつ怖い映画である。
書評|『会社を変える分析の力』河本薫
- 作者: 河本薫
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2013/07/18
- メディア: 新書
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「ビッグデータの時代」
最近そういう言葉をよく聞くようになったが、大規模データをどのようにうまく活用しているかを聞く機会は少ない。
データというものが企業秘密に大きく関わるものだということもあるが、最先端を走る企業を除いて「データを集めてみたはいいものの、どのように扱っていいかわからない」という企業も多いのではないだろうか。
本書はそんな「ビッグデータ」という言葉に翻弄されているビジネスマンに向けて、「データ分析の取り組み方」を説いた本だ。
ただし、具体的な「分析手法」が説明されているわけではない。あくまで「企業の分析担当者が、どのようにデータ分析に取り組むべきか」という心得を解説している。
もちろん、分析手法も大事だが、あくまでそれらは手段にすぎないと筆者は主張する。
分析の価値とは、端的に言えば、「その分析により意思決定を改善することで得られる効用です。
どんなに大規模で貴重なデータを分析して、どんなに面白い分析結果が得られたとしても、
それがビジネス上の意思決定に活用されなければ意味がない。
「分析の価値」=「意思決定への寄与度」×「意思決定の重要性」
が大前提の方程式だと主張する。
また、データ分析の目的が「分析すること」になってしまいがちなことに警鐘を鳴らしている。「手段が目的に」という話はよく聞く話だが、データ分析においても同様の考えに陥りがちなのである。
データ分析従事者は、データを目の前にした時「どんなデータ分析をやってみるか」という考え方が先にひらめくのではないだろうか。
データ分析でビジネスを変革するチャンスを考えるとき、「こんなデータ分析は役立つのでは」という分析側からの発送スタイルでは視野が狭くなり、次善の策に甘んじる恐れがあります。
と述べた上で再度、「ビジネス上の意思決定を目的としたデータ分析」を主張している。
実際ビッグデータビジネスでの成功事例を見ていると、分析の前段階で明確な目標を持っています。
筆者の主張は一貫しており、データ分析のゴールは「データがビジネスに役立つこと」としている。
近頃見られるデータ分析本は「手法」によりがちな部分はあるが、本書は、データ分析者に向けて、ビジネス上の意思決定という「成果」を出すための心得を書いている。
データ分析担当者はもちろん、仕事の中で「データ分析」に少しでも係る仕事に従事している人であればおすすめの1冊だ。データ分析に取り組む前に読んでおきたい。
音博2014(~tofubeats)
くるりの主催するフェス、京都音楽博覧会。
2014年、第8回目の開催にして初めて参加してきた。
9月のとある日に、夜仕事をしながらくるりの動画を見ていたら衝動に駆られチケットを購入した。
その雰囲気や出演するアーティストをほとんど知らずに行くことを決めたわけだけど
岸田さんが、
地域の交流の場として、そして賑わいの広場として、年々活気を増しつつある梅小路公園が会場です。文化と芸術、そして国際交流の街、京都。そんな街並みに相応しい素敵な音楽博覧会を目指します。皆さんの心に未来と希望を届けることが目標です。
と言うように、自分の知らないモノ・コトを知る場、すなわち博覧会に
参加するような気持ちで期待をしていた。
突然でかつどんな形のフェスか予想もできない中での参加だったが、
それは他の大型フェスにはないような独特なもの。
新しいものを知る/聞く、その時のくるりを知る/聞くという目的で、
自分にとって毎年参加したいフェスになった。
タイムテーブル順に振り返ってみたいと思う。
【サラーム海上の音楽遊覧飛行】
サラームさんは「よろずエキゾ風物ライター/中東料理研究家/DJ 中東やインドにて音楽や料理、風物をフィールドワークし続ける」といった肩書で中東を中心に世界各国の音楽に詳しい人のよう。
何の前触れもなく岸田さんと一緒に登場し、一緒に世界各国の音楽を聴く時間を作ってくれた。
岸田さんはインタビューの中で「自分が他の人と差をつけることができるのは、聞いてきた音楽の量」といったような話をしていたが、この時間は「2人のオタクが自分たちの好きな音楽をかけて楽しむ時間」だった。
【トミ・レブレロ】
バンドネオンを弾く容器なアルゼンチン人。
一見アコーディオンに見えるバンドネオンだが、リードオルガン、アコーディオンなどの楽器をもとに作られた楽器。鍵盤ではなくボタンで弾くのも、アコーディオンとは違う点である。
サポートメンバーとして、全身赤い服を着たバイオリン演者が一緒だった。
バンドネオンとバイオリンのデュオ演奏からスタート。
途中、バンドネオンだけかと思ったら、ギターの弾き語りもあり意外と聞かせる。
そして松尾芭蕉。
曲と曲の間に入るMC、英語をうまく聞きとることができなかったのだが
「松尾芭蕉」というワードだけ聞こえる。
松尾芭蕉?そう、松尾芭蕉を連呼する曲を歌い始めた。数回来日して作った曲らしい。
Tomi Lebrero「松尾芭蕉」 filmed by 三田村亮 - YouTube
客席から歓声とともに笑い声が聞こえてくる。
自分たちとは見た目の違うアルゼンチン人、そして見慣れない楽器バンドネオン。
それと「松尾芭蕉」の組み合わせがアンマッチングで、ただその演奏は情熱的。
最後に上着を脱ぎ(上裸)、ウクレレの演奏と共にラストナンバーを歌いきった。
ワールドミュージックをあまり聞かない人にとっては敷居の高い音楽かと思いきや、
「松尾芭蕉」を熱唱するなど、トミ・レブレロは観客を魅了した。
【ヤスミン・ハムダン】
レバノン出身のヤスミン・ハムダン。
直前の「サラーム海上の音楽遊覧飛行」で紹介されたように、
ジム・ジャームッシュ監督映画『Only Lovers Left Alive』の挿入歌『HAL』からスタート。
Yasmine Hamdan - Hal - YouTube
普通のマイクとリバーブ効果のあるマイクを使い分けているのか、2本のマイクで歌い上げていく。
間に「ありがとうございます」や「おおきに」といった、日本語の言葉で挨拶。
時おり自らの体を後ろにそらせながら情熱的歌い上げた。