映画『100万円と苦虫女』

蒼井優好きのための、蒼井優主演のロードムービー

蒼井優が『ニライカナイからの手紙』以来、3年ぶりに主演を務めた、ほろ苦い青春ロードムービー。ひょんなことから各地を転々とすることになるヒロインの出会いと別れ、そして不器用な恋を丹念に映し出す。監督は『赤い文化住宅の初子』のタナダユキ。共演者も『スマイル 聖夜の奇跡』の森山未來をはじめ、『ワルボロ』のピエール瀧『転々』笹野高史ら個性派が脇を固める。転居を繰り返しながら、少しずつ成長して行く主人公の姿に共感する。
シネマトゥデイより)

大きなどんでん返しがあるわけではない。
また、爆笑したり、泣けたりするシーンがあるわけではない。

ただ「100万円たまったら、その街を出て行く」という流浪人のような暮らし方と特に特徴のない海山町、そして蒼井優の雰囲気が、映画を特異なものにしている。


大きな感動があるわけではないけど、他人とうまく関われてないでいる人の背中を、少しだけ押してくれるような優しい映画でした。

百万円と苦虫女 [DVD]

書評|『本の逆襲』内沼晋太郎

本の逆襲 (ideaink 〈アイデアインク〉)

本の逆襲 (ideaink 〈アイデアインク〉)

「今年は電子書籍がくる」「電子書籍元年!」

ここ数年、何回この言葉を聞いたことだろう。

確かに2013年にkindleが日本に上陸し、紙の本の存在が危ぶまれた。
しかし現実はどうだろう。紙の本は絶望の危機に瀕しているだろうか。

個人的には、日本での発売当初その「新しさ」には惹かれたものの、
結局購入には至らず紙の本を読んでいる。
本題ではないので詳細については割愛するが、新しさは感じるものの
まだ紙媒体の方がいいと感じているためである。

著者は本書の中で、電子書籍は急速に広がらないだろうと主張する。

新しいハードウェアの普及に合わせてソフトウェアも移行していく音楽と違い、
1冊がハードウェアとソフトウェアを兼ねている「本」はそうした変化を
今まで一度も経験していないというのだ。

このように、ブックコーディネーターとして「本の未来」を考え続けてきた内沼晋太郎氏が、

「明るいとは言えない出版業界の未来」と「本の未来」は別物

とした上で、
本の「現実」、そして「逆襲(未来)」を語るために上梓したのが本書である。


筆者は「ブックコーディネーター」として、本に関わる多くの仕事や企画、作品に関わってきた。
種々の活動の中で「そもそも本はこれからどうなるのか」「本の未来にどんな可能性があるのか」
と考える機会に溢れていたそうだ。

それらの問いを経た上で、出された結論、すなわち本の未来は「本は拡張している」ということだ。

特に電子書籍以降、本はもはや定義できなくなりました。
すでに出版流通の外側に拡張しているので、そこで何かをしようとする人は、まず自分なりに
「あれも本かもしれない」と、ほんの定義を広げてみて色々試してみるのがいいのではないか

言われてみれば、身のまわりに「拡張した本」は存在している。

例えば、今のこの文章を書いているデスクにおいてある本に、
ドワンゴ会長の川上さんが書いた『ルールを変える思考法』という本があるが、
これは、従来の形式とは違い、インターネットでの連載
4Gamer.net「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」)が元になって作られたものだ。

紙媒体であることが、本の絶対条件ではない。
上で紹介したインターネット連載が元になった本や、最近ではTwitterでの投稿をまとめたものが
そのまま書籍化されていたりする。
インターネットは、本にとっての悪い意味「黒船」ではなく、
むしろプラスとなる「黒船」なのである。

筆者の言うように本の枠組みを拡張させることで、本の可能性は広がっていく。

他にも、「本の定義を拡張して考える」を含め「これからの本のための10の考え方」が紹介されているので、是非ご一読いただきたい。


そして、本書では最後に「これからの本のための10の考え方」をふまえた上で筆者が現在
何をしているかが書かれている。
それが、筆者と博報堂ケトルの嶋浩一郎氏が「新たな町の本屋」として始めた下北沢のB&Bである。

コンセプトに惹かれ、自分も立ち上げから半年ほど関わっていたことがあるのだが、
B&Bが他の本屋と違う点は、以下の点だと認識している。



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①売っている本

B&Bに置いてある本を誰が選んでいるかというと、その大部分をブックコーディネーターである内沼さんが選んでいる。
誰よりも深く本に関わる仕事をしてきたということで、見たことのない本も多く面白い。

また、かつて筆者がアルバイトをしていた往来堂書店という本屋の本の置き方を踏襲して、
B&Bは「文脈棚」という陳列方式を採用している。

通常の本屋であれば「文庫本は文庫本のコーナー、ハードカバーはハードカバー、ビジネス書はビジネス書…」と本の種類ごとの陳列されている場合が多い。
一方で「文脈棚」は、本の文脈(=何らかの意味のあるつながり。例えば音楽、料理、アメリカ、など)ごとに陳列をする。

また、内沼さん以外のスタッフも本のセレクトに関わっている。

内沼さんとスタッフによる選書を「文脈棚」方式で陳列することによって、
B&Bは魅力的な「街の本屋」になっているのである。

※もちろん、週刊誌、月刊誌等の雑誌も売っている。
「街の本屋であれば、そういった連載誌も売ってなければ」ということだったと思う。

②ビールが飲める

B&BとはBook & Beerの略である。B&Bでは、本を読みながらビールが飲めるのだ。
こぼしてしまうことがおおそうだが、以外と月に1回あるかないかがぐらいらしい。
ビールと本が両方好きな人にはたまらないサービスだと思う。

③売っているものが本だけじゃない

文房具はもちろん、なんと本を置いている本棚や机、照明など店内のもののほとんどが売り物だ。
確かに、空の本棚を見て購入するより実際に本が入っている様子を見た方が、自分が使う様子を想像しやすく買う方も嬉しい。

④毎晩イベントを開催している

基本的には本屋なのだが、本に関わることの集まる磁場を作るべく、毎晩イベントを開催している。
毎晩イベントという言葉だけ聞くと「え、無理でしょ…」という印象を受けるが、本当に毎日実施している。
しかも土日には、一日2本以上のイベントを実施していることもあるので、昨年は1年で450~500本のペースだそうだ。

また、イベントのゲストも日によって全くジャンルが違うことも多く、
ある日はゲームの歴史についてひたすら話していたり、別の日は谷川俊太郎さんが子、孫の3世代で話していたり、
とにかくイベントのゲストが多種多様で、イベントによってお客さんも全然違う
(40代以上がほとんどだったり、若い人ばかりだったり、あるいは世代がバラバラだったり)

「本」という共通点を除けば、出会うことのなかったような人が同じ場所に集まっている。
その光景が、いい意味でカオスで、面白い空間だった。


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なぜ本屋なのに、ビールを売ったり、イベントをしたりするのか。
それは収益のポートフィリオを組むためだという。


今、街の本屋(新刊書店)が次々につぶれている。
本を読む人が大きくは減ってないとはいえ、街の本屋にとっては
Amazonスマートフォンは大きな脅威である。
そんな時代を考慮した上で、紙の本を売るだけではない他の収益源を持った本屋、
B&Bをオープンさせたのである。


そして筆者は「あなたも「本屋に」」というメッセージと共に本書を終わりとしている。

10の考え方を活用すれば、このような「本屋」のアイデアはは誰にでも思いつけるのではないかと思います。

筆者の考えに沿えば、この書評も「本屋」の一環になる。
書評に加えてその本のAmazonアフィリエイトリンクを貼れば、
インターネット上の「本屋」であるといえなくもない。


筆者や出版業界、本屋の関係者だけが、本の未来を作っていくのではない。
筆者の言う「10の考え方」を活用できれば誰もが本の未来を作っていける、というのが筆者が読者に一番言いたかったことではないだろうか。


本に仕事で関わってる人だけではなく、本が好きな人に読んでもらいたい1冊である。


本の未来、逆襲の一助となることを祈りつつ、この書評を終わりにしたいと思う。

「頭の中の余白」の話

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社会人になって1ヶ月がたった。

色々と感じることはあるけれどそれは別の話として、
今日書きたいのは、「頭の中の余白」のこと。


昨日、六本木森美術館に行ってきた。

「LOVE展:アートにみる愛のかたち」という森美術館10周年記念展。

「愛」というテーマの沿った様々なあアートが集められていて、
絵画から銅像、映像作品、初音ミクまで、「愛」に少しでも引っ掛かりがある作品が集められていた。

結構なカオス具合。

見ている時はそれなりに楽しんだわけだけど、
今その感想をここに書こうと思ったら書けない。

文字にして思考を働かせようとすると、ぼーっと靄がかったようになってしまう。
何かをつかもうとしても、力が抜けてしまってあと少し手が届かない感覚。

「明らかに3月まで頭の動き方が違うな」と感じる。


なんでそんなことになってしまうかというと、
その理由ははっきりしている。

それは「仕事」。

平日に頭を働かせすぎて、それ以外に動かす余地が少なくなってしまっているんだよね。

3月までは、インプット、アウトプット共に持て余してたぐらいだったのに、
今は逆に、どちらもいっぱいいっぱいになっている。


「切り替えが大事」ということはよく聞くことだけど、
その意味がわかった。

何を切り替えるかっていうと、頭の中にあるいくつかの部屋の切り替えのことだと思う。

「高速回転する仕事の部屋」とか、「社会的しがらみや制約から離れた休日の部屋」とか。
あるいは、「先入観をできるだけ排除した芸術鑑賞の部屋」とか、「思考をほとんど伴ないわない運動の部屋」とか。

思うに、今自分が休日に思考が鈍くなってしまっているのは、
そんな部屋を明確に分けられていないからだと思う。

大学生の時はそれで済んでいた。
普段の生活では仕事ほどの長期的な負荷がかかる頭の使い形をしていなかったので、
必要性を感じていなかった。


ただそのままじゃダメで、働いていると、意識して分けなきゃ休日がボーっとしてるだけで終わってしまう。

言い換えれば「1つの塊として、ダラダラと使う」ということ。
全体として、余裕がどこにもなくなってしまう。


そうではなくて、
「ここは「仕事の部屋」で、あそこは「休日の部屋」で…」
そういう風に、予め頭のリソースを割り振っておく。

少しでもいいから、「本を楽しむ部屋」とか、「食事を楽しむ部屋」とかを作っておくこと。

時には「仕事の部屋」大きくなってしまうことがあるかもしれないが、
その時は、別の「仕事の部屋」に余裕があるときに他の部屋を大きくしてあげればいいだけの話。


部屋を割り振った上で、そのバランスを意識すること。


働きながら生きていく上で、
そんなようなことを心にとめておきたい。

GWの2,3日目。
そんなことをもやもやと考えた休日だった。

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これから社会に出るにあたって-インドと地方経済から仕事について考える-

インドには、日本では考えられないような仕事がたくさんあった。

・道ばたには、体重を図るだけの人、耳かき屋、風船屋…。

・現地で働いている日本人の方のお宅にお世話になった時、お宅であるマンションのエレベーターには「ボタンを押すだけの人」がいた。人が多く乗るならわかるが、そこはマンション。四六時中人が乗り降りしているわけではない。はっきり言って自分でやった方が早い。

・そしてチャイカップ。
太田さんという、タダコピを作った後世界一周した方がいる。
その方のFacebookの投稿に以下のようなものがあった*1


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・エッセイストの妹尾河童さんがインドに訪れ、部屋のエアコンの調子が悪く自分で直そうとした時のこと*2

もともと人に頼むほどのこともない簡単なことだからと、自分でやろうとしたら、
「ちょっと待って下さい。我々はそれぞれ自分の職業を持って暮らしている。あなたはお客だ。その人が、我々の仕事を奪うなんて、よくないことです」

ーーーーーー

インドには本当に多種多様な仕事がある。中には「その仕事いらんやろ!」ってものもたくさん。
だけど彼らは、その仕事がなければ食い扶持を稼ぐことはできない。それで生きている。

グローバル企業がそういった仕事があまりない国に進出することは、彼らの仕事を奪うかもしれない。便利になり、効率化が進むよって仕事を失う人がいる。逆に雇用を生むかもしれない。ただしそこで生まれた利益のほとんどは、その国にとどまることはなく、その会社のものになる。

同じようなことは、日本の地方に関しても言うことができる。
今、日本の地方に行くと、たいていどこに行っても見ることができる光景がある。
その光景とは、風景に馴染まない複合型ショッピングモール(大型スーパー)が立っている様子。
その土地がどんな伝統や名産を持っているかは関係がなく、同じようなものが売っている同じような複合型ショッピングモールがあちこちに散在している。
そこで地方の人が買い物をしたとして、お金はその地域にとどまることはない。そのショッピングモールの運営元のもとへ行く。
そして、地元の商店街の八百屋や服屋、靴屋、電気屋、それらの個人商店は稼ぐことが難しくなっていく。

ーーーーーー

それらの是非を問いたいのではない。
上で述べたものが正しい認識かはわからないし、もしかしたら、複合型ショッピングモールは地域経済に貢献しているかもしれない。


ここで言いたいことは、全てのファクターがお互いに影響を与え合っていること。

それは「人間分子の関係、網目の法則」のこと。

僕の考えでは、人間分子は、みんな、見たことも会ったこともない大勢の人と、知らないうちに、網のようにつながっているのだと思います。それで、僕は、これを「人間分子の関係、網目の法則」ということにしました。(吉野源三郎『君たちはどう生きるか』p.87)


そして言い換えれば、それは「経済」と「社会」のこと。

インドに行き、日本の各地を歩いて、「経済」と「社会」を実感した。

これから社会に出て働くにあたって、その「経済」と「社会」を常に意識していなければならないと思っている。


・自分の仕事の成果が行動が、いつ、どこの、誰に(何に)、どんな影響を与えるのか。その大きさは?

・自分が生んだ付加価値が誰に対して分配されているのか。誰を幸せにしたのか。誰を不幸せにしたのか。

・コスト削減や効率化の施策を実行したとして、誰の仕事をなくすことになったのか。

・あるいは同じ事を、対外的なことだけではなく、社内での同僚に対する影響にも言えるかもしれない。自分がした動きが同僚にどういった影響を与えるのか。


「学校」という閉じたネットワークから外に出た今、より一層「経済」と「社会」を常に意識していかなければならない。

その開かれたネットワークの中で、「誰も泣き寝入りすることのない」仕事をしていきたい。まだ働いてもいない理想主義的な戯言かもしれない。そんなこと言ってられなくなるかもしれない。

ただ、今しか言えないのであれば、尚更言っておきたい。

少なくとも、常に意識していたい。


自分の仕事の成果が行動が、いつ、どこの、誰に(何に)、どんな影響を与えるのか。


ほんの一瞬でも想像力を働かせることを忘れないよう。


そして数日後、「学生」という防壁のない丸裸の姿で、社会に出ていく。

*1:https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10151460153763361&set=a.425690068360.188801.767688360&type=1

*2:妹尾河童『河童が覗いたインド』

【ここは東京】旧白洲邸 武相荘に行ってきた

この前読んだ『白洲次郎 占領を背負った男』に感化され、白洲夫妻とその家族が住んでいた武相荘に行ってきた。
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町田市の小田急鶴川駅から、徒歩15分ほどのところにある。
当時は、列車が到着しても乗降者が1,2人しかいないのんびりした田舎駅だったようだが、今は住宅街といった趣。

隣には、ユニクロがどでかい店舗を構えていて、これもまた、農村が開発されたことの象徴のように感じられる。

まず最初に、武相荘の紹介を。
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なるほど。家自体と庭がみどころなよう。
期待期待を高めつつ中へ。

門。
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門ごしに、茅葺きの屋敷を望むことができる。

門の前には、臼を用いたポスト。
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白洲次郎は器用だったそうで、家具等をよく自作していたらしい。
これもその1つだろう。

立派な茅葺き屋根。
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近年葺き替えが行われたそうで、とても綺麗な屋根だった。

この武相荘の母屋、ほとんどの部屋に入ることができる。
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入り口で「武相荘」と書かれた袋に靴を入れ、中に入る。

母屋の玄関は春仕様。
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中は写真撮影が禁止されていたので写真はないが、夫妻のこだわりの品が所狭しと並べていた。
面白いのが、次郎と正子の特徴がよく出ていること。

1つに、次郎手作りの家具や道具が多く展示してあった。竹で作ったランプや正子のために作った家具など、必要なもので作れるものは作っていたようだった。
対照的に正子の所持品は、文化エッセイストとしての顔が出ている。古い皿や着物、奈良時代の勾玉を用いた首飾りまで、歴史的に価値のあるモノが多く置いてあった。


この母屋で一番よかったのは、正子の書斎。
本棚が、5,6個あったかな。その本棚に本がぎっしり詰まっている。
天井が低いので、壁を見ることができず、すべて本に覆われてた。
正子が読書や執筆をしていたであろう机の下は、掘りごたつのように足を下に入れられるようになっている。
なかなか言葉で伝えることは難しいんだけど、狭く本に囲まれた書斎には惚れ惚れしてしまった。


母屋の外に出て、庭を歩いてみる。
ちょうど桜の時期だが、庭に桜はなく、ツツジが綺麗に咲いていた。

決して、「日本庭園」にように作りこまれた庭ではない。
日本式の庭ってある意味スキがなくて自然じゃないから、それは次郎のスタイルとは違う。
生前、次郎は家について「完成することはない。生涯作り続けるんだ」と言っていたとどっかで見た。だから、武相荘はそこまで整った庭ではない。

ただ、生のある庭だと感じた。

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どこからか、鳥の声が聞こえる。
気がゆれる音がする。椿の花が落ちる。
人の手が加わっているとはいっても、無理がない。
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「本来の庭ってそういうものなのかもしれない」とふと思う。
「日本の庭」と言われると、池があって、綺麗に刈り込まれた木々があって、「整然」という言葉が似合う場所のことを指すことが多いのだと思う。
それを否定するわけではない。京都の美しく整えられた庭は、美しいと思うし、日本が世界に誇れる文化だとも思う。

ただ「住む」「暮らす」となると違うのかな、と。「整然」とした庭は必要ない。道楽の域。

「完成はない」から、ずっと作り続けること。
作るとは言っても、作りこみすぎないこと。
そうすれば、自然と生のある庭になるんじゃないのかな。

京都のお寺などで「庭」と言われて、どこか違和感を感じていたのは、それが自分の家にある庭とは違うからだと気づいた。
あれは「アート」で、非日常的なモノ。

一方で、自分の家の庭はアートではない。「暮らし」に寄り添った自然のこと。
武相荘の庭はその意味での庭で、かつ素晴らしいものだった。
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しばらくふらふらとして、帰宅。

天気はよくなかったし満開の桜もなかったが、とても贅沢な日曜日だった。

意外と気にされない「誰と旅行に行くか」という観点について

「誰と旅行に行くのか?」と聞いたら、「行きたい人と行けばよくないか?」と言われるかもしれない。

しかし、海外旅行のトラブルとしてよく聞くことに、「一緒に行った人と喧嘩した」だとか「気まずくなった」ということを聞く。「人間関係なんだから、日本にいようが旅に行こうが、どうしようもないこと」と言われればそれまでだが、それで終わらせていいことではないと思う。

その点で、今回のインドへの旅行で実感したことがある。

「役割分担が重要」だということだ。

今回のインド旅行は特に一緒に行った人の間では特にこれといったトラブルもなく、とても充実したものになった(あくまで主観ではあるが)。
あまり細かいことを気にしないメンバーだったこともあるが、それ以上に「各メンバーの役割がはっきりとわかれていたこと」がよかったと感じている。

インド旅行では、

■女1:【英語担当】英語での難しく細かい交渉を担当
■男1:【切り込み担当】道を尋ねる、リキシャをつかまえる等の「まず動く(かつ英語が必要な)場面」で先頭に立って交渉を行う
■女2:【飯担当】スイーツ専用「地球の歩き方」である『aruco』で美味しい飯を探したりと、旅の大きな要素の1つである「ご飯」を充実させる
■男2:【情報担当】インドで注意すべきこと、各スポットの情報などを入手

もしこのうち1人でも欠けていたら、今回のような充実した旅にはならなかっただろう。

また、「特に何もすることがない」人がいないのもポイントだと思う。
自分も、行く前は「英語」を話せないことが引け目となり、「インドでは何の役にも立つことができないのではないだろうか」と不安だった。
結果的に、「情報収集」という多少は秀でていることで「役割」を持つことができたが、これがなかったら旅の「参加感」がなく、1人だけツアーに参加しているような感覚になっていたのではないだろうか。
主導権が全く自分にない状態というのは、辛いものだと思う。

もちろん全員で話し合ったり、先に進んだりするに越したことはないのだが、先導する役割の人はいたほうがいい。

そして、行く前から「この人は~が得意だから連れて行こう」とメンバーを選抜する必要はない。
行く前の空港や、一夜目の宿で話し合えばいい。

小さなことでもいいから、「その人ができること」を任せることが大事だと思う。
またその役割は1人で全部担う必要もない。
【飯担当】が2人いたっていい。

何か「できることがある」、「自分が旅の一部を作っている」ことが大事なことだと思う。

「外の人間」として、インドの貧困にどう向き合うか

インドで強く印象に残っていて忘れることができないのは、長距離寝台の床を上裸・半ケツで拭いていた子どもである。


バラナシからムンバイへの28時間、長旅にも飽きボーっとしていた時。
汚い雑巾で拭きながら進む子どもが、通路を進んできた。


インドには貧しい子どもがたくさんいて、物乞いをしている。
また、掃除や陽の目を見ない小さな仕事をして、その日暮らしをしている。


その子どもはこちらを振り向きもせずそのままいってしまいそうな素振りを見せたので、あまり気に留めていなかった。


すると、急にこちらに目を向けた。


目には光がない。その光のない目で俺の目を見る。そして手を差し出す様子を見せ、すねをコンコンと叩くいた。そのノックには力がない。小動物に叩かれているような微かな振動。その大きさが、彼の生命力を表しているようで得も言われぬ感情におそわれる。

目を合わせることはできない。じっと宙を見つめることしかできない。

「こういう子どもには何もあげちゃいけない」どこかでみかけた言葉を自分の頭に言い聞かせていた。

すいぶん長い時間に感じられたけど、1分ほどたった後だろうか。

ミホさんがチョコレートを差し出した。

子どもは受け取り去っていった。

すごく情けなかった。

思考停止していたんだ。目をそらしていたんだ。どう向き合っていいかわからないから。向き合うのが怖いから。

自分の考えをもってどうするかを決めればいいじゃないか。目の前に泣いてる子がいれば助けるべきじゃないのか?少なくとも自分はどう思うんだ?と。


確かにその是非は議論されていることであり、人によって意見も違う。そして、与えてしまうとその物乞いという行為が正当化されエスカレートしてしまうこと、往々にして物乞いをする子どものウラには大人がいて子どもらの手には何も残らないことから、多くの人は「与えるべきではない」と結論づけている。

ただ、その時の少年は「働いて」いた。掃除という「労働」を通して、その「対価」を受け取ろうとしていた。何もなしに、モノやお金を要求することとは違う。

そこでお金やモノを与えるかどうかは、自分で考なければならないだろう。

「バックに大人がいるのであれば、食べ物を与えればいい」という基準を設けることもできる。実際に一緒にインドに行ったダイちゃんは、ムンバイでバナナを与えていた。


その是非をここ言いたいのではない。

陳腐な表現になってしまうけど、「考える」ことが大事だってことだ。

「お金やモノを求められたら何も与えない」と決めることは簡単で、そして「楽」だ。世界規模の問題である「貧困」に向き合って何かしらの結論を出すのは、おそらく疲れるし、労力のいることだと思う。

だけど、今回の件でそうやって思考停止することは本当に怖いことだと感じた。

そういう「思考停止」状態が、貧困を固定化しさらに加速させる。

想像力を働かせられなくなる。

憲法で禁止されつつも、インドでカースト制度がなくならないのは、「階級がある状態は当たり前で、そういうものだ」と思考停止状態にあるからに他ならない。


「インドの貧困にどう向き合うか」
その答えは、「先入観にとらわれず、ありのままのインドを見ること、そして自分の頭で考えること」だと思う。



柳沢教授「すべては人間というフィルターを通して変わるものですから。私は、そのフィルターをどう研ぎ澄ましていくかについて一番関心があるのです。」
まもる「フィルターって…何?」
柳沢教授「たとえば…心の眼です」
まもる「こころのめ?」
柳沢教授「そうです。まもる君が何かを見て綺麗だなとか嫌だなとか感じるそんな眼です。でも次第にその眼の上にいろいろなものが重なっていって、自分の本来の感じ方が知らないうちに変わっていってしまうことがあります。だからいつもフィルターをピカピカにしていたくて私は研究しています」
まもる「大きくなるって大変だ」
柳沢教授「そんなことはありませんよ。楽しいですよ」
山下和美天才柳沢教授の生活㉙』第201話「二つの太陽」)