【インドに行ってきた】バラナシ3日目-出発-
朝。
勝手に早起きする。7時だった。
いよいよ、旅の最終目的地ムンバイに向かう朝、バラナシを散歩したかった。
ダイちゃんを起こし、ガンジス川に散歩しに行く。
しばらく歩くと、前から見知った顔が。
ラジャだ。
何やら疲れた顔をしている。
「昨日家に帰ったあと、兄貴に怒られたんだ。お酒飲むの久しぶりで、けっこう酔っ払ってて。」
前日は軽い気持ちで飲んでいるように見えたのだが、やはりインドはお酒に対する考え方が厳しいようだ。
3人で、マニカルガー・ガートに歩いていく。
「寒いからここで温まろう」とラジャ、死体を燃やしている日のすぐ横に歩いて行った。
人の形は見えないが火はしっかり灯っていて、寒いバラナシの朝に冷やされた体を温めてくれる。
人を燃やすことで温まるというのも、何ともいえない気分だ。どうしても居心地の悪さを感じてしまう。
一方でラジャはそれがどんな炎か構う様子はなく、火にあたっている。
バラナシの人にとっては「死」は身近にあるものなのだ。
ーーー
そういえば、前日のことで書きわすれたことがあった。
不純な動機がありお酒を飲もうと誘ってきたラジャとサニーだが、1つ印象的なことがあった。
ビールを1人1人瓶で飲んでいた。あとほんの数cmを「もういらないな」と思い、ガンジス川対岸の砂丘に流して捨てていた時だ。
「捨てるのは構わないけど、ガンジス川には流しちゃだけだよ。神聖な川だからね。」と2人は言った。
正直驚いた。彼らはインドの聖地ガンジス川のあるバランシにおいて、最も「宗教」から遠い存在(西洋よりの若者)だと思っていたからだ。
ガンジス川は、どれだけ時間がたっても神聖な川であり続けるんだろう。
ーーー
その後、ラジャとその仲間の若者と朝チャイをした。帰り際に、「今日出るんだろ?リキシャ手配するよ」とラジャ。ありがたく、甘えさせていただくことにする。
一旦ホテルに戻り、屋上レストランで久しく食べることができていなかった朝食をいただく。
屋上に上がると、凧揚げをしている人をたくさんいる。ラジャの弟曰く、その日は凧揚げ大会があるそうだ。
凧揚げと行っても、ある程度の距離を走ってあげるわけではない。皆、自宅の屋上から凧を上げている。一歩も動かず、手の動きだけで凧を空叩く上げるているのだ。
インド人は凧揚げが好きだ。
今年の1/7にも、ムンバイのプリヤダルシニ公園で大きな凧揚げ大会「International Kite Festival」があったようで、その動画を見ると理解が早いと思うので載せておく。
準備が整ったので、チェックアウトをする。
時間通りにラジャは迎えに来てくれた。
その時、ダイちゃんは必要ではなくなった服をラジャにあげた。ちなみに俺も宿の兄ちゃんにパーカーをあげた。ラジャにあげようと思い手に持っていたら、「それクレヨ!!」と言われたからだ。満足度の高い宿だった。
なんだかんだ、ものすごくお世話になったラジャに別れを告げ、オートリキシャでバラナシ駅へ。
バラナシを振り返っておくと、今回訪れた場所の中では最も刺激的で、最もインド的な場所だった。ニューデリーやムンバイのように都市でもなく、アグラの遺跡のように単純に「観光地」なわけでもない。都市や観光地として作られているわけではなく、「そこにある」のがバラナシだった。
今回は電車のチケットの調整がうまくいかず2泊しか滞在することができなかったが、もっと滞在しなければ味わい尽くすことはできない場所だった。
ただ逆に言えば、「入り込み過ぎると抜けられなくなる」危険性もある。バラナシに関してよく聞くのが、都市伝説的なこととしてよく聞くのが「バラナシにいついてしまって、帰れなくなった」という話だ。先ほども書いたようにバラナシは「そこにある」場所なので、中に入れば入るほど魅力を感じることができる。よってバラナシで「暮らす」ことに近づいていけばいくほど魅力に取り憑かれ、出て行くことが難しくなるんだと思う。1週間が限度なんじゃないかな。
電車というと前回のツンドラ駅での待たされた記憶が蘇るが、今回は昼間発の電車なので待つにしても負担は少ないだろうと楽観視していた。
駅に到着し電光掲示板を見ると、「時間通り運行」の表示が。
「ほんとに時間通りに来るのか?」と疑いつつ、子どもと遊びながらホームで待つ。
すると1時間弱遅れで電車が来た。
前回のこともあり、全く信用していなかったインドの電車。
やればできるじゃないか…
いよいよ、28時間の長距離夜行電車での長旅だ。
本を読んだり、
寝たり、
車窓を眺めたりしてすごす。
インドの太陽光発電。田舎の風景の中に突如現れたのには驚いた。
そして晩飯。
電車のおっちゃんが「飯いるか?」と聞きに来たので、カレー定食的なものを4人で2つ頼む。
これがまずかった。
ご飯とナンがぱっさぱさだし、カレー味しないし。
そして狭かった。この時の等級は3C(3段ベッド)だったので 、まともに座ることもできない。
総じて、この旅で一番まずくて、不快な環境での晩飯だった。
特にすることもないし、一番下のおっちゃんが眠たそうだったので就寝。
ミホさんとアヤコが上、ダイちゃんと俺が真ん中、インド人のおっちゃんとお婆さんが下だ。
次の日はいよいよ、旅の最終目的地ムンバイに到着する。
楽しみではありつつ、少しずつ旅の終わりを感じ始めていた。