意外と気にされない「誰と旅行に行くか」という観点について

「誰と旅行に行くのか?」と聞いたら、「行きたい人と行けばよくないか?」と言われるかもしれない。

しかし、海外旅行のトラブルとしてよく聞くことに、「一緒に行った人と喧嘩した」だとか「気まずくなった」ということを聞く。「人間関係なんだから、日本にいようが旅に行こうが、どうしようもないこと」と言われればそれまでだが、それで終わらせていいことではないと思う。

その点で、今回のインドへの旅行で実感したことがある。

「役割分担が重要」だということだ。

今回のインド旅行は特に一緒に行った人の間では特にこれといったトラブルもなく、とても充実したものになった(あくまで主観ではあるが)。
あまり細かいことを気にしないメンバーだったこともあるが、それ以上に「各メンバーの役割がはっきりとわかれていたこと」がよかったと感じている。

インド旅行では、

■女1:【英語担当】英語での難しく細かい交渉を担当
■男1:【切り込み担当】道を尋ねる、リキシャをつかまえる等の「まず動く(かつ英語が必要な)場面」で先頭に立って交渉を行う
■女2:【飯担当】スイーツ専用「地球の歩き方」である『aruco』で美味しい飯を探したりと、旅の大きな要素の1つである「ご飯」を充実させる
■男2:【情報担当】インドで注意すべきこと、各スポットの情報などを入手

もしこのうち1人でも欠けていたら、今回のような充実した旅にはならなかっただろう。

また、「特に何もすることがない」人がいないのもポイントだと思う。
自分も、行く前は「英語」を話せないことが引け目となり、「インドでは何の役にも立つことができないのではないだろうか」と不安だった。
結果的に、「情報収集」という多少は秀でていることで「役割」を持つことができたが、これがなかったら旅の「参加感」がなく、1人だけツアーに参加しているような感覚になっていたのではないだろうか。
主導権が全く自分にない状態というのは、辛いものだと思う。

もちろん全員で話し合ったり、先に進んだりするに越したことはないのだが、先導する役割の人はいたほうがいい。

そして、行く前から「この人は~が得意だから連れて行こう」とメンバーを選抜する必要はない。
行く前の空港や、一夜目の宿で話し合えばいい。

小さなことでもいいから、「その人ができること」を任せることが大事だと思う。
またその役割は1人で全部担う必要もない。
【飯担当】が2人いたっていい。

何か「できることがある」、「自分が旅の一部を作っている」ことが大事なことだと思う。

「外の人間」として、インドの貧困にどう向き合うか

インドで強く印象に残っていて忘れることができないのは、長距離寝台の床を上裸・半ケツで拭いていた子どもである。


バラナシからムンバイへの28時間、長旅にも飽きボーっとしていた時。
汚い雑巾で拭きながら進む子どもが、通路を進んできた。


インドには貧しい子どもがたくさんいて、物乞いをしている。
また、掃除や陽の目を見ない小さな仕事をして、その日暮らしをしている。


その子どもはこちらを振り向きもせずそのままいってしまいそうな素振りを見せたので、あまり気に留めていなかった。


すると、急にこちらに目を向けた。


目には光がない。その光のない目で俺の目を見る。そして手を差し出す様子を見せ、すねをコンコンと叩くいた。そのノックには力がない。小動物に叩かれているような微かな振動。その大きさが、彼の生命力を表しているようで得も言われぬ感情におそわれる。

目を合わせることはできない。じっと宙を見つめることしかできない。

「こういう子どもには何もあげちゃいけない」どこかでみかけた言葉を自分の頭に言い聞かせていた。

すいぶん長い時間に感じられたけど、1分ほどたった後だろうか。

ミホさんがチョコレートを差し出した。

子どもは受け取り去っていった。

すごく情けなかった。

思考停止していたんだ。目をそらしていたんだ。どう向き合っていいかわからないから。向き合うのが怖いから。

自分の考えをもってどうするかを決めればいいじゃないか。目の前に泣いてる子がいれば助けるべきじゃないのか?少なくとも自分はどう思うんだ?と。


確かにその是非は議論されていることであり、人によって意見も違う。そして、与えてしまうとその物乞いという行為が正当化されエスカレートしてしまうこと、往々にして物乞いをする子どものウラには大人がいて子どもらの手には何も残らないことから、多くの人は「与えるべきではない」と結論づけている。

ただ、その時の少年は「働いて」いた。掃除という「労働」を通して、その「対価」を受け取ろうとしていた。何もなしに、モノやお金を要求することとは違う。

そこでお金やモノを与えるかどうかは、自分で考なければならないだろう。

「バックに大人がいるのであれば、食べ物を与えればいい」という基準を設けることもできる。実際に一緒にインドに行ったダイちゃんは、ムンバイでバナナを与えていた。


その是非をここ言いたいのではない。

陳腐な表現になってしまうけど、「考える」ことが大事だってことだ。

「お金やモノを求められたら何も与えない」と決めることは簡単で、そして「楽」だ。世界規模の問題である「貧困」に向き合って何かしらの結論を出すのは、おそらく疲れるし、労力のいることだと思う。

だけど、今回の件でそうやって思考停止することは本当に怖いことだと感じた。

そういう「思考停止」状態が、貧困を固定化しさらに加速させる。

想像力を働かせられなくなる。

憲法で禁止されつつも、インドでカースト制度がなくならないのは、「階級がある状態は当たり前で、そういうものだ」と思考停止状態にあるからに他ならない。


「インドの貧困にどう向き合うか」
その答えは、「先入観にとらわれず、ありのままのインドを見ること、そして自分の頭で考えること」だと思う。



柳沢教授「すべては人間というフィルターを通して変わるものですから。私は、そのフィルターをどう研ぎ澄ましていくかについて一番関心があるのです。」
まもる「フィルターって…何?」
柳沢教授「たとえば…心の眼です」
まもる「こころのめ?」
柳沢教授「そうです。まもる君が何かを見て綺麗だなとか嫌だなとか感じるそんな眼です。でも次第にその眼の上にいろいろなものが重なっていって、自分の本来の感じ方が知らないうちに変わっていってしまうことがあります。だからいつもフィルターをピカピカにしていたくて私は研究しています」
まもる「大きくなるって大変だ」
柳沢教授「そんなことはありませんよ。楽しいですよ」
山下和美天才柳沢教授の生活㉙』第201話「二つの太陽」)

【インドに行ってきた】総括

インドは、人生観が変わる場所と言われている。

自分探しをする場所として、揶揄されることもある。

 

しかし、実際に行ってみてそんなことはなかった。

少なくとも、自分の場合は「人生観」は変わらなかった。

そもそも「自分探そう」なんて思ってなかった。

 

それは「入りこまなかったから」かもしれない。

インドの中に「どっぷり浸かる」という程には入り込むことはなかった。

1週間ぐらいバラナシに滞在したら、違ったかもしれない。

インドにいた日数はほんの10日と少し程度で、1ヶ月ほどいたら違ったかもしれない。

 

それらは仮説でしかないのでなんとも言いようがないが、今回の旅は引いてみてたところがあると思う。

 

「23年生きてきて、そんな一瞬で人生観など変わるものか」

「でもそれは「頭が硬くなってる」ということじゃないのか?」

そんな2つの相対する考え方が頭の中でぶつかり合っている。

 

インドから帰ってきて、日本の「現実」が変わっているかと言えばやっぱりそうではない。

目の前にあるのは脱ぎ散らかされた服だったり、置きっぱなしの洗い物だったり、電車で寄りかかってくる疲れたおっちゃんだったり、それは紛れもない現実だ。

それを疑いようもない現実で、変わったりしない。

 

もちろん感じることはたくさんあった。

それをここで1つにまとめることはできない。それほど、インドというのは一面的に捉えることのできない国だった。

日常の小さな出来事の中で急に戻ってくるのかもしれないし、数年後か数十年後かに印象的な体験としてフラッシュバックされるのかもしれない。

 

ただ、1つ言えることがある。

「今この瞬間にも、チャイ売りのおっちゃんは「チャーイチャーイ」とチャイを売っているし、インドの子どもは家の屋上で凧揚げをしているだろうし、ヒンドゥー教徒ガンジス川で沐浴している」ということだ。

それが身体を伴った感覚として実感できるようになった。

 

今いる場所「現実」だけではなくて、「違う世界もある」という実感、「インドではインドの現実がこちらと同時間に存在している」という視点を持つことができるようになったことは大きい。

映像や文字など、視覚と聴覚からインプットされた知恵や知識でしかなかった世界が身体感覚を伴って実感されたことは、自分の視界を広げることになった。

 

そして「無知」を知った。

無知の知」なんていう大それたことではなく、インドでは自分の知らないことがたくさん知った。情報が入手しやすくなっている今だけど、そのそれはあくまで「情報」でしかなく自分の「体感」ではない。知ったつもりになっているだけだ。

無知を自覚した上で自分の頭と身体を使って「知ること」は、常に心に留めておきたい。

 

 

最後に、今回のインドへの旅は「この時期にしかできない旅」だった。

沢木耕太郎氏が『深夜特急』の旅を振り返った『旅するノート』に以下のような言及がなされている。

 

20代を適齢期とする旅は、やはり20代にしかできないのだ。50代になって20代の旅をしようとしてもできない。残念ながらできなくなっている。だからこそ、その年代にふさわしい旅はその年代にしておいた方がいいと思うのだ。(p.244、沢木耕太郎『旅するノート』)

 

仮に10年後インド初めて行くとして、今回のように「鉄道&宿」の予約が取れていない状態ではいかないだろうし、28時間の夜行にも乗らないだろう。

様々な制約やしがらみがあって、20代と同じような旅をすることはできないと思う。

ノープラン、予約なし、だからこそできない経験があって、それは今しかできなかった。

大学を卒業する前のこの時期に行ってよかったと思う。

 

インドに行った人は「2度と行くもんか!」と「また行きたい!」にきっぱり別れるという。

自分は後者だった。

いつになるかわからないが、いつかまた行きたいと思う。

いつかまたのその時は、その時にしかできない旅を。

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【インドに行ってきた】ムンバイ2日目-インドありがとう-

さて、最終日。

 

正確に言うと、翌日が最終日だったが午前の飛行機でムンバイを発ってしまうので、この日がインドを歩きまわる最後の日である。

 

ムンバイはデリーやアグラ、バラナシよりもかなり南にある都市なので、朝から暑い。上は半袖Tシャツ一枚でちょうどいいくらいだ。

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8時くらいに起床し、ムンバイ探索に出かける。

 

ムンバイセントラル駅から、チャーチゲート駅へ。

目的地は、インド門とタージマハルホテルだ。

 

まずは、カフェで朝食兼昼飯をとった。

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インドのチェーン店的な店は、やはり無駄に店員が多い(客が数人しかいないのに、店員が7人もいる)。

 

腹を満たして、ぶらぶら街を歩く。

 

広いグラウンドがあり、子どもがクリケットの練習をしていた。

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大英帝国の植民地だった影響で、インドではクリケットが大人気だ。

ほとんどのインド人がクリケットファンだと言われていて、人気の試合ともなるとTVの視聴率は80%もいくらしい。日本との関わりでいえば、野球をクリケットにした巨人の星のインド版「スーラジ ザ・ライジングスター」が人気だそうだ。

 

そして、1878年に建築されたゴシック様式の建物、ムンバイ高等裁判所

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ムンバイの建造物は、ヴィクトリア朝のゴシック・リヴァイヴァル建築とインドの伝統的建築の融合が特徴だ。

 

その隣にあるムンバイ大学の時計台。

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イギリス人が設計したもので、ビックベンを参考にしているそうだ。

 

 

その後、プリンス・オブ・ウェールズ博物館に寄った。

ウェールズ皇太子だったジョージ5世がインドを訪問したのを記念して1905年に創立された博物館で、現在の正式名称は、「Chhatrapati Shivaji Maharaj Vastu Sangrahalaya」だそうだ。

 

歩いて行くと、建物がなくなり道がひらけて来る。

海、そしてインド門だ。

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英国の支配下にあった1911年に、英国王ジョージ5世とメアリー王妃の訪問を記念して造られた。 

カメラを持ったインド人が、「PHOTO?」と言って近寄ってくるがスルー。観光地ではよくある商売だが、あえてツッコミをいれたい。

 

①「撮った写真どうするの?」と思ってたら、1人1台プリンターを持ち歩いてた(笑)

②いすぎ!(半径10mに5人ぐらいいる)

③いまどき、何かしらのカメラも持たないで観光行く人いないと思う。

 

インドでいちいちツッコミをいれていたらキリがないが「これももうできないのかと思うと寂しい」と感じる、多分。

 

後ろ振り返ると、タージマハルホテルがドーンと建っている。

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このホテルの出来るまでを簡単に書いておこうかな。

 

1900年ぐらい、インド近代工業の父といわれるタタ一族の創業者ジャムセットジ・タタは、当時のムンバイ最大のホテル、ワトソンズ・ホテルに入ろうとした。

すると…

 

ホテルマン「白人専用ですぜ、おやっさん」

タタ「ちょ、お金はあるからさ、泊めてよ!」

ホテルマン「いんや、決まりなんで泊められません」

タタ「そんなこと言われると、今日野宿になっちゃうよ!」

ホテルマン「そんなん知ったこっちゃないですわ」

タタ「もういいもん!もっとすごいの自分で作っちゃうもんね!君ら来ても泊めてあげないからね!」

 

という会話があったかは知らないが、ワトソンズ・ホテルで宿泊を断られたタタは、写真のとおりものすごい豪華なホテルを作ったわけだ(これは実話)。

 

そのホテルの1階には、タタとスターバックス合弁会社が運営しているスタバがある。

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インドということで、チャイティーラテを飲んでみた。味は、スパイシー、だった気がする。

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スタバでMacは万国共通なようで。

 

ムンバイ観光はここまで。

そう、ムンバイでは所謂「観光」をした。

観光とは、要は「見るだけ」である。バラナシで得られたような「その国に、町に入りこむ」感覚はない。今回の記事が観光地の紹介中心になってしまったのもそういうことだろう。

もちろん、街にいるのはインド人だし、ゴミだらけだし、物乞いもいる。

ただ、これまで旅をしてきたどのインドの町よりも、都会的でインドっぽい要素は少なかった。

 

最後に、ムンバイの夕焼けを望む。

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夜は、アヤコのおじさんとお祖母さんと食事をした。もちろん2人とも日本人だ。

アヤコのおじさんは金融系の仕事でムンバイに単身赴任していて、お祖母さんはツアーでの1人旅らしい(たくましい…)。

車で迎えにきていただいた。大きい車で運転席には専属の運転手がいる。

中華料理店に連れて行ってくださった。

 

誰かが軽く聞いた質問だったが強く記憶に残っていることがある。

 

誰か「どうしてインドにこようと思ったんですか?」

 

確かに、どうして、その年齢(50代)でインドに単身赴任しようと思ったのだろう。

 

アヤコのおじさん「ある日突然、「インドで働いてみない?」と言われたんだよね。最初は断ろうと思ってたんだけど、電車でふとした瞬間に「これは最後のチャンスかもしれないぞ」って思ったんだ。人生一回しかないし、そういうクレイジーな環境に身をおいてみるのも楽しいんじゃないかってね。」

 

ある程度の年齢になったら「守りに入ってしまう」人が多いだろうと思う。

だけど、アヤコのおじさんは50代で1人でインドに乗り込んだ。

なかなかできることじゃないと思う。その対象は「世界に出る」ことに限った話ではないけど、年齢だとか社会的立場をものともせず挑戦していく姿勢は見習いたいし、いつまでもこころがけていたいものだと思った。

 

その後、お宅にてシャワーを貸していただいた。

皆の体調も優れないなか、宿のひざ下蛇口で水浴びはきついと考えお願いしたのだ。

正直、生き返った。

 

「慣れた」とは言いつつ、案外参ってたんだなと思った。

日本という世界でもトップクラスのインフラを持つ国に育つと、どうしても人間という「動物」として生きていく力は弱くなるのだろう。

別に悪くはない。先進国に生きている全員が、インドのような環境で生きていくための「サバイバル能力」を持つ必要はない。むしろありがたいことだと思わねばならないと思う。環境に感謝し、それを維持していくためには何を考えなければならないのか、何をすべきなのか、そして「インドのような場所では日本より格段に悪い衛生環境の中で生きている人がいる」ということ、それらを頭のすみっこで意識しておくことが大切だと思う。

 

宿に帰って就寝。

次の日は、いよいよ日本に帰る飛行機に乗り込む日だ(デリーで5時間待ち、上海経由だから帰国は2日後だったが)。

 

 

時系列での「旅の記録」の記事はこれで終わりとしたい。

ここまで書いてきて、本当にいろいろあったんだなと改めて実感している。

一生忘れない旅になった。

 

紀行文的なものはこれで終わりだけど、まとめとかまだいくつか書こうと思ってる。

一旦ここで、この旅を締めたいと思う。

 

ナマステ~

 

 

 

 

間違えた。

 

 

 

 

シュクアリア~

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ヒンドゥー語で「ありがとう」)

 

ありがとう! インドさん、ミホさん、アヤコ、ダイちゃん!

 

【インドに行ったきた】ムンバイ1日目-都会の電車は恐ろしい-

さすがに飽きた。

 

最初は新鮮だった、インドの夜行電車も28時間も乗るとなると、さすがに飽きた。

前日の夜はすることもないので10時には寝たので、朝7時には目が覚めてしまう。

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しかし、起きてもまだ下のおっちゃんは寝てるし、読書もするにしてもずっと寝たままの姿勢だと疲れる。

 

仕方なく、ぼーっとしてみる。

すると「これは本当に現実なのか」という気がしてきた。

ほんの数週間前までは、インドのことを知るにしても、自分の頭で想像するしかなかった。それが今、インドという土地の、しかも現地の人と一緒に夜行列車にいるのだ。下を見たらインド人のおっちゃんとおばあさんが寝てるし、電車の中も明らかに日本にない形、そうインドの夜行電車だ。

ほんの数日海外旅行に行っただけでは、「本当に行ったのだろうか?」と帰った時に思う人が多いらしい。現実ではなかったような気がするんだとか。となると、日数はできるだけ多く、かつ観光地だけめぐるのでなく現地にどれだけ入れるかによって変わってくるのだろう。

 

8時くらいになるとおばあさんはどこかに去っていった。

行きの飛行機もそうだったが、インド人にとっては「空いてる席=自由に座っていい席」なのだろう。おばあさんも知り合いの近くの「空いてる席」に行ったんだと思う。

 

そして、どこかの駅に到着した。

お腹も減ったし、クッキー&チョコも飽きたので、何かを買いに出る。

 

もはや、お腹を壊すことなど恐れるに足らず。

どうせ慢性的に調子は悪いのだ。

エネルギーが足りないほうが辛いに決まってる。

 

と自分にとって合理的な判断を下し、外に何かを買いに出る。

朝飯の時間帯なので、種類は豊富だ。

カレー、カレー、豆カレー、カレー味っぽい何か。

 

カレーっぽい何かを買ってみる。直径8cmぐらいの丸いパンのようなもので、かすかにカレー臭がする。それが2つで30ルピーだった。

 

車内に入って、食す。

カレー味のじゃがいもパンだ。これが意外とうまかった。

じゃがいもそのものの味がうまくて…(味付け関係なし)。

アヤコとミホさんは寝てるし、ダイちゃんは「いらね!」と言うので1人で完食。

 

下のおばあさんがいなくなったので、ベッド下げて椅子に。

3C寝台は3段ベッドのすべてがベッドなわけではなく、真ん中は折りたたみ式のベッドになっていて、昼間は向かい合わせの椅子になるのだ。

 

ここから到着までは、一言で言えば「気怠い時間」だった。

旅も終盤に差し掛かり「知らない土地にきた興奮」もないし、体調もよくはない。

特にすることもない。

 

途中、物乞いの子どもが来たが、それはまた別の機会に。

 

だんだん高層マンションなど、都会的な建物が目立つようになってきた。

ムンバイへの到着が近いようだ。

そして、着いた。

 

ただ、終点のムンバイCST駅ではない駅で止まって動かない。

同じ電車に乗っていた白人の青年曰く、「行き先が変わって、ここが終点になった」んだとか。

 

「最後までインドの電車は…」と思いたいところだが、もはや驚きはしない。皆、落ち着いている。「しょうがないな~。ホテル最寄りの駅までの行き方聞かなくちゃ」たくましくなってる…。

 

この駅で電車を降りて、そのへんにいるインド人を見た時に感じたことがあった。

顔つきが違うのだ。姿見はこれまでのインド人と変わらないとはいえ、なんとなく余裕がある雰囲気がある。都会ということで、裕福な人が多いのだろうか。

また、普通の大学生のような若者も見かける。

 

電車から降りた瞬間から、ムンバイは今までのインドの町とは違いかなりの都会であるように感じられた。

 

駅の窓口で宿の最寄り駅、ムンバイセントラル駅へ向かう電車の聞き、ホームに向かう。ホッと一息、階段を降りていたら乗るホームに電車が入ってきている。

ダッシュ。一列で走って、俺が一番後ろ。

 

ムンバイの電車にはドアがない(下写真、正確に言うと、ドアはあるけど常に全開)。

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そのまま駆け込む。3人は乗れた。

ところが、俺が乗ろうとすると電車が動き出す。

 

マジか…

 

慌てて、ドアのあるべき位置にあるポールにつかまる。

背中には重たいバックパック。振り落とされそうになる。

 

振り落とされてしまったほうが安全そうだ。だが、互いの連絡手段がないため別れると非常にめんどくさい。

 

 

うおぉぉぉ!!!

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もぉぉぉぉ!!!

 

 

乗れた…

 

インド人は、「そんなの日常茶飯事さっ」とでも言うかのように、こちらを見向きもしない。

なんたって、ムンバイでは通勤時の電車で一日平均12人もの人が命を落とす。

(参考:『混雑で1日平均12人が死亡、ムンバイの通勤列車』国際ニュース : AFPBB News http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2411105/3081207

乗車率は、250%だそうだ。

恐ろしい…

 

悪気はないのだろうが、こっちを見るインド人の顔も恐ろしい…

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10分ほどでムンバイセントラル駅に到着。

 

タクシーを探す。

そう、ムンバイ中心部にはオートリキシャがない。立ち入れない決まりになっているらしく、その代わりに黒い車体に黄色い天井のタクシーが走り回っている。

 

適当なタクシーを見つけて、宿に連れて行ってもらう。ただ、この運転者がその日泊まる予定の宿を知らなかった。散々聞いて歩き回ったあと、駅から徒歩5分もかからないところに到着。

とぼけた顔して、交渉して決めた100ルピーを要求する運転手。歩いていけたし…

 

その日は、貧乏旅行の定番、ゲストハウス。

 

入った瞬間、「汚い…」。

セミダブルのベッドが1つで2人寝るには感覚が狭いし、蒸し暑いから天井の送風機を回したら、ものすごい音で、しかも落ちてきそうだ。

極めつけは、シャワーがない。蛇口が膝ぐらいの位置にあるだけ。

 

そのぐらいでは驚かないし、文句を言わないぐらいにはなっていたけれど。

 

やたら店員の多いケンタッキー(カレーは飽きた)を食べ、少しぶらぶらして就寝。

 

次の日は、実質最終日。

植民地自体の中枢、そしてインド最大の都市、ムンバイを歩く。

 

【インドに行ってきた】バラナシ3日目-出発-

朝。

 

勝手に早起きする。7時だった。

いよいよ、旅の最終目的地ムンバイに向かう朝、バラナシを散歩したかった。

ダイちゃんを起こし、ガンジス川に散歩しに行く。

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しばらく歩くと、前から見知った顔が。

ラジャだ。

 

何やら疲れた顔をしている。

「昨日家に帰ったあと、兄貴に怒られたんだ。お酒飲むの久しぶりで、けっこう酔っ払ってて。」

前日は軽い気持ちで飲んでいるように見えたのだが、やはりインドはお酒に対する考え方が厳しいようだ。

 

3人で、マニカルガー・ガートに歩いていく。

「寒いからここで温まろう」とラジャ、死体を燃やしている日のすぐ横に歩いて行った。

人の形は見えないが火はしっかり灯っていて、寒いバラナシの朝に冷やされた体を温めてくれる。

人を燃やすことで温まるというのも、何ともいえない気分だ。どうしても居心地の悪さを感じてしまう。

一方でラジャはそれがどんな炎か構う様子はなく、火にあたっている。

バラナシの人にとっては「死」は身近にあるものなのだ。

 

ーーー

そういえば、前日のことで書きわすれたことがあった。

不純な動機がありお酒を飲もうと誘ってきたラジャとサニーだが、1つ印象的なことがあった。

ビールを1人1人瓶で飲んでいた。あとほんの数cmを「もういらないな」と思い、ガンジス川対岸の砂丘に流して捨てていた時だ。

「捨てるのは構わないけど、ガンジス川には流しちゃだけだよ。神聖な川だからね。」と2人は言った。

正直驚いた。彼らはインドの聖地ガンジス川のあるバランシにおいて、最も「宗教」から遠い存在(西洋よりの若者)だと思っていたからだ。

ガンジス川は、どれだけ時間がたっても神聖な川であり続けるんだろう。

ーーー

その後、ラジャとその仲間の若者と朝チャイをした。帰り際に、「今日出るんだろ?リキシャ手配するよ」とラジャ。ありがたく、甘えさせていただくことにする。

 

一旦ホテルに戻り、屋上レストランで久しく食べることができていなかった朝食をいただく。

屋上に上がると、凧揚げをしている人をたくさんいる。ラジャの弟曰く、その日は凧揚げ大会があるそうだ。

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凧揚げと行っても、ある程度の距離を走ってあげるわけではない。皆、自宅の屋上から凧を上げている。一歩も動かず、手の動きだけで凧を空叩く上げるているのだ。

インド人は凧揚げが好きだ。

今年の1/7にも、ムンバイのプリヤダルシニ公園で大きな凧揚げ大会「International Kite Festival」があったようで、その動画を見ると理解が早いと思うので載せておく。

 

準備が整ったので、チェックアウトをする。

時間通りにラジャは迎えに来てくれた。

その時、ダイちゃんは必要ではなくなった服をラジャにあげた。ちなみに俺も宿の兄ちゃんにパーカーをあげた。ラジャにあげようと思い手に持っていたら、「それクレヨ!!」と言われたからだ。満足度の高い宿だった。

 

なんだかんだ、ものすごくお世話になったラジャに別れを告げ、オートリキシャでバラナシ駅へ。

 

バラナシを振り返っておくと、今回訪れた場所の中では最も刺激的で、最もインド的な場所だった。ニューデリーやムンバイのように都市でもなく、アグラの遺跡のように単純に「観光地」なわけでもない。都市や観光地として作られているわけではなく、「そこにある」のがバラナシだった。

今回は電車のチケットの調整がうまくいかず2泊しか滞在することができなかったが、もっと滞在しなければ味わい尽くすことはできない場所だった。

ただ逆に言えば、「入り込み過ぎると抜けられなくなる」危険性もある。バラナシに関してよく聞くのが、都市伝説的なこととしてよく聞くのが「バラナシにいついてしまって、帰れなくなった」という話だ。先ほども書いたようにバラナシは「そこにある」場所なので、中に入れば入るほど魅力を感じることができる。よってバラナシで「暮らす」ことに近づいていけばいくほど魅力に取り憑かれ、出て行くことが難しくなるんだと思う。1週間が限度なんじゃないかな。

 

 

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電車というと前回のツンドラ駅での待たされた記憶が蘇るが、今回は昼間発の電車なので待つにしても負担は少ないだろうと楽観視していた。

駅に到着し電光掲示板を見ると、「時間通り運行」の表示が。

「ほんとに時間通りに来るのか?」と疑いつつ、子どもと遊びながらホームで待つ。

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すると1時間弱遅れで電車が来た。

 

前回のこともあり、全く信用していなかったインドの電車。

 やればできるじゃないか…

 

いよいよ、28時間の長距離夜行電車での長旅だ。

 

本を読んだり、

 

寝たり、

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車窓を眺めたりしてすごす。

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インドの太陽光発電。田舎の風景の中に突如現れたのには驚いた。

 

そして晩飯。

電車のおっちゃんが「飯いるか?」と聞きに来たので、カレー定食的なものを4人で2つ頼む。

 

これがまずかった。

ご飯とナンがぱっさぱさだし、カレー味しないし。

 

そして狭かった。この時の等級は3C(3段ベッド)だったので 、まともに座ることもできない。

 

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総じて、この旅で一番まずくて、不快な環境での晩飯だった。

 

特にすることもないし、一番下のおっちゃんが眠たそうだったので就寝。

ミホさんとアヤコが上、ダイちゃんと俺が真ん中、インド人のおっちゃんとお婆さんが下だ。

 

次の日はいよいよ、旅の最終目的地ムンバイに到着する。

楽しみではありつつ、少しずつ旅の終わりを感じ始めていた。

 

【インドに行ってきた】バラナシ2日目-インド人との長い一日-

長い1日だった。

 

6時起床。

数時間前の腹痛と暗闇のシャワーにより体調はあまりよくない。

早く起きてボートで朝日を見に行くことになっていた。

 

マニカルガー・ガートの近くでボートをひっかけ、まだ光のないガンガーへ。

 

朝のガンガーには深い霧がかかっている。10m先も見えない。特に向こう岸側は何も見えなくて、実態の掴むことのできない夢の中に迷い込んだようだった。もがいても、あがいても、手で探っても何もつかむことのできない。そんな夢。

 

一方で岸側は、バラナシに生きている人の朝の営みを見ることができる。

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ものすごく冷たいだろうに、ガンガーの水を浴びている(その時は、5℃あるかないかぐらいの気温)。

寒くはないのだろうか?信仰心がなければ、なかなかやれるものではないと思う。

また、朝のガンガーでは洗濯をしている様子を見ることができた。ガンジス川の水で洗濯物をゆすぎ、岸辺においてある「叩きつける道具」で水分を飛ばす。ここのインド人に餅つきをさせたら粘り気のある美味しい餅ができるだろう。

 

途中、花売りの少女が船に乗り移ってくる。バラナシでは、小船に、ろうそく・花を入れてガンジス川に流す灯籠流しのようなものが行われている。日本にも鐘楼流しなどの行事があるが、同様に先祖の供養として火を灯した小舟を流すそうだ。

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少女がろうそくに日を灯した小舟を渡してくれる。

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流すとゆらゆらとボートから離れていき、10mほどで沈んでしまった。「あっけないものだな」と思いつつ、その沈んでしまうあたりが彼岸と此岸の間のようで不思議な気分。

 

ちなみに、1つ100Rsを要求された。「いい商売だなー」と思いつつ、相手が子どもだというのと、十分に堪能させてもらった感情が素直にお金を払わせた。

 

そして突然、太陽が目の前に出現した。

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霧のせいで対岸の砂山が見えないせいか、何もないところから急に上がってきたように思える。太陽が上がるにつれて霧も一気に晴れ、体に直に伝わる暖かみがある。日の出前後のガンジス川の気温、様子は全く違い、太陽とは実にありがたいものかを実感する。

バラナシほど、夜明けを感じることのできる場所はあるだろうか。街の全てが東向きで、日の出の方向を向いている。太陽の光と、朝のガンガー。

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朝のボートの帰り、やたら馴れ馴れしい若者に出会う。名前はラジャ。「宿の関係者だ。案内するよ。」と言う。「観光地で話しかけてくるインド人は信用できない」とは言うけれど、いちいち疑っていたら楽しみも削がれてしまうので、一旦ついていくことに。最初に朝飯を食べる場所に連れて行ってもらった後、ヒンドゥー教の聖地、黄金寺院ことヴィシュワナート寺院に連れて行ってもらう。

この寺院はシヴァ神を祀る、ヒンドゥー教にとって最も重要な聖地だそうで、非常に警備が厳しい。

当然、写真撮影は禁止。荷物も中に入る前に預けなければならない。入り口近くの商店街の一角にあるロッカーに預けることになったのだが、パスポートやお金など貴重品はすべて肌身離さず持っていたので不安になる。

その不安から、最初は日本から持参した腹巻きに本当に大事なものを身につけて入ろうとしたのだが、セキュリティチェックが厳しすぎて持ち込めず、結局ロッカーに。

 

「ははっ。預けろっていったろ!俺が見てるから大丈夫だよ」とラジャ。

どうしようもないので、すべて預けて中に入る。中は裸足。さすがに牛の糞はないが、衛生的に若干の不安があった。中に入ったあと、さらにセキュリティチェックがあり、いよいよ寺院へ。

 

と、ここでアヤコがカメラなど、諸々の貴重品を持ち込んでるのが見つかった。

なぜか最初のセキュリティをかいくぐれてしまったのだ。

警備員の府警さんも「マジかよ(笑)」といった表情で苦笑している。

この時は中にある警察に預けるだけですんだが、本来何かを持ち込むと逮捕されるらしい。危うく収監されるところだった、アヤコ(笑)。

 

中に入ると、皆必死だ。それと対比的に冷静なのは警備員と猿。特に猿は、聖地などはお構いなしに人が手に持っている供物を狙ってくる。猿にとっては宗教など関係ないのだ。人間がそれをしようものなら、大きな避難を浴びるだろう。「この罰当たりが!」と。

人間は猿よりも弱い生き物なのかと思ってしまう。動物としてだけ生きていくことはできない。自分たちが生きていくために作り上げた"宗教"という概念がなければ生きてはいけない。

 

―――

この旅を通して、宗教に興味を持った。生活と密接に結びつく宗教、街と一体化する宗教、かつて世界の中心だった宗教、今も原理主義者を中心に争いが起きている宗教。

無宗教と呼ばれる日本で生まれた自分にとって、宗教感覚はいまいち理解することができない。信じる神様がいるという感覚がわからないという方が表現の方がいいかもしれない。

そのため、観光目的に宗教遺跡に行ってもほんの一部分しか見れていないと思う。「感じることが大事だ」とはいうけれど、それは長期滞在における話ではないだろうか。短期間、ほんの数日滞在しただけで「感じる」ことなどできないと思う。ある程度の前提知識や感覚的な理解は必要なのだと感じた。

―――

 

その後は、シルク工場に連れていってもらった。機械化された大きな工場を予想していたら、ツルの恩返しに出てきそうな機織り機が出てきてびっくりした。

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デザインから型作り、織るところまでほぼすべての作業を手作業で行なっていた。

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その後は直売所に案内される。他の店で軒先に出ているものを「シルクだよ!」と言われても疑ってしまうが、ここはそれまでに作業工程を見ているので「シルクだよ!」という言葉には説得力があった。

ついついいつもは買わないものまで買ってしまう。各人、ストールなど1~2枚購入。

 

店を出ると「今度は映画館行こうよ!」とラジャ。映画好きで知られるインド人、そして「なぜか踊る」ことで知られるインド映画。有名作品は日本でも見ることができるが、現地で見ることで「本当のインド映画」を見ることができると思い、見に行くことに。

 

少し休んで宿の前で待ち合わせていると、ラジャが友達を連れてやってきた。

「こいつはサニー。親友だよ。」

とラジャと同じくらいの年齢であるらしい男を紹介される。

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彼はカースト最上位であるバラモンの生まれらしく、今は聖職者になるための修行中らしい。

 

映画は総じて面白かった。

「Matru Ki Bijlee Ka Mandola」という映画で、若干政治色の絡んだラブ・コメディといったストーリー。

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(後のムンバイで見かけた同映画の看板)

最初は眠くて仕方がなかったが、最後は「政略結婚をぶっ壊す話」だとわかり楽しめた。

もちろんダンスがことあるごとに挿入され、映画を盛り上げる。突然大声を出したと思うとそれを合図に踊りだすんだもんなあ。

 

以下、映画雑感

・基本的にドタバタで、すぐ場面が切り替わる

・長いので、途中に休憩がある。

・個人的にダンスシーンは好き。特に映画館の音響できくとテンション上がる。

・インドの映画館はマナーにルーズ。携帯はしょっちゅう鳴るし、普通に電話し始める。笑うシーンでは笑うのは当たり前。その方が自然なのかもしれないけどね。

・女優はインド映画界のスターらしい

・悪い婚約者が○関さんに似てた。

 

映画鑑賞後、ラジャが「ガンジス川の対岸でお酒飲もうよ!」と誘ってきた。

個人的には、「夜のインド+お酒+親切だとはいえ目的のわからないインド人」という組み合わせには危険しか感じず迷うところだったが、旅は流れに身を任せたほうが楽しいものだし、第一皆のノリがよかったので、止めずに行くことにした。

一旦宿に帰り、ダイちゃんがサニーとお酒の買い出しに行くというので待つ。

どうしても不安だったので、お酒は飲んでるフリをすることにし常に警戒することにする。

 

マニカルガー・ガートの横で待っていると、ラジャの弟だという少年がボートを漕いでやってきた。

その少年が船を漕ぎ対岸にわたる。

買ってきたカレーと共に乾杯。

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インドの数少ないビール、キング・フィッシャー。

 

その後カレーも食べ終わり落ち着いたら、少年が俺とダイちゃんを砂山探索に連れ出した。「ヘイ!ちょっとあっち見に行かない!?」

 

「あ、なるほどね」と。

彼らは、アヤコとミホさんを口説きたかっただけだった。

暴行されて金品を奪われる等の最悪のケースを想定していた俺は、拍子抜けしてしまった。完全に安心てわけでもないが、しばらくほっておくことにした。

色々案内してもらったのは事実なわけだし、彼らにも面子ってものがあるだろう。

 

少し散歩していると、アヤコがこっちにやってきた。

「なんかすげー口説かれてめんどくさいんだけど…(笑)」

最初の場所に戻ると、ミホさんも「何か口説かれてた(笑)」と。

 

しかし、よく口説こうと思ったものだ。彼女らと俺たちは兄弟とは言ってあったけれど、どこの誰が妹が口説かれるのを許すというのだろうか。

 

彼らは物足りなそうだが、しばらくうだうだして帰りのボートに乗った。

 

そこでミホさんが聞く。

「インドでは、女をお金で買えるの?」

それに対してサニー、

「買える。だけど、自分は外国人にしか興味がない。今までも何回も寝てる」

急に顔つき変わったか気がした。

「あ、こいつはもう口説けそうもないな。」という本音の顔。

「ヤケクソだな、これは」と。

 

ボートから降りてからも「まだ言ってない秘密がある。それを聞くにはもう少し付き合ってくれ」と口説かれていたが、さすがの2人は全く相手にせず宿に帰る。

 

この1日は楽しかった。普通にガイドブックを見ながら街を歩いていては行けないような寺院や現地人だけしかいない映画館に行けた。

ただ、1日案内してくれた彼らにも目的があって、それは「女の子」だった。

インド人の親切を、ただの親切だと思いこむことは危険だと感じた。

「親切にしてくれたと思ったら…」という話はつきものだ。

ただ何もかもを疑っていては、人間不信に陥って、警戒しているだけで旅を終えてしまう。

全部を疑わないまでも、最低限の心構えとして「インド人が話しかけてくる時は、まず「相手が何の目的を持っているか」をしっかりと把握する」ということを意識すべきだと、改めて認識した。