これから社会に出るにあたって-インドと地方経済から仕事について考える-
インドには、日本では考えられないような仕事がたくさんあった。
・道ばたには、体重を図るだけの人、耳かき屋、風船屋…。
・現地で働いている日本人の方のお宅にお世話になった時、お宅であるマンションのエレベーターには「ボタンを押すだけの人」がいた。人が多く乗るならわかるが、そこはマンション。四六時中人が乗り降りしているわけではない。はっきり言って自分でやった方が早い。
・そしてチャイカップ。
太田さんという、タダコピを作った後世界一周した方がいる。
その方のFacebookの投稿に以下のようなものがあった*1。
・エッセイストの妹尾河童さんがインドに訪れ、部屋のエアコンの調子が悪く自分で直そうとした時のこと*2。
もともと人に頼むほどのこともない簡単なことだからと、自分でやろうとしたら、
「ちょっと待って下さい。我々はそれぞれ自分の職業を持って暮らしている。あなたはお客だ。その人が、我々の仕事を奪うなんて、よくないことです」
ーーーーーー
インドには本当に多種多様な仕事がある。中には「その仕事いらんやろ!」ってものもたくさん。
だけど彼らは、その仕事がなければ食い扶持を稼ぐことはできない。それで生きている。
グローバル企業がそういった仕事があまりない国に進出することは、彼らの仕事を奪うかもしれない。便利になり、効率化が進むよって仕事を失う人がいる。逆に雇用を生むかもしれない。ただしそこで生まれた利益のほとんどは、その国にとどまることはなく、その会社のものになる。
同じようなことは、日本の地方に関しても言うことができる。
今、日本の地方に行くと、たいていどこに行っても見ることができる光景がある。
その光景とは、風景に馴染まない複合型ショッピングモール(大型スーパー)が立っている様子。
その土地がどんな伝統や名産を持っているかは関係がなく、同じようなものが売っている同じような複合型ショッピングモールがあちこちに散在している。
そこで地方の人が買い物をしたとして、お金はその地域にとどまることはない。そのショッピングモールの運営元のもとへ行く。
そして、地元の商店街の八百屋や服屋、靴屋、電気屋、それらの個人商店は稼ぐことが難しくなっていく。
ーーーーーー
それらの是非を問いたいのではない。
上で述べたものが正しい認識かはわからないし、もしかしたら、複合型ショッピングモールは地域経済に貢献しているかもしれない。
ここで言いたいことは、全てのファクターがお互いに影響を与え合っていること。
それは「人間分子の関係、網目の法則」のこと。
僕の考えでは、人間分子は、みんな、見たことも会ったこともない大勢の人と、知らないうちに、網のようにつながっているのだと思います。それで、僕は、これを「人間分子の関係、網目の法則」ということにしました。(吉野源三郎『君たちはどう生きるか』p.87)
そして言い換えれば、それは「経済」と「社会」のこと。
インドに行き、日本の各地を歩いて、「経済」と「社会」を実感した。
これから社会に出て働くにあたって、その「経済」と「社会」を常に意識していなければならないと思っている。
・自分の仕事の成果が行動が、いつ、どこの、誰に(何に)、どんな影響を与えるのか。その大きさは?
・自分が生んだ付加価値が誰に対して分配されているのか。誰を幸せにしたのか。誰を不幸せにしたのか。
・コスト削減や効率化の施策を実行したとして、誰の仕事をなくすことになったのか。
・あるいは同じ事を、対外的なことだけではなく、社内での同僚に対する影響にも言えるかもしれない。自分がした動きが同僚にどういった影響を与えるのか。
「学校」という閉じたネットワークから外に出た今、より一層「経済」と「社会」を常に意識していかなければならない。
その開かれたネットワークの中で、「誰も泣き寝入りすることのない」仕事をしていきたい。まだ働いてもいない理想主義的な戯言かもしれない。そんなこと言ってられなくなるかもしれない。
ただ、今しか言えないのであれば、尚更言っておきたい。
少なくとも、常に意識していたい。
自分の仕事の成果が行動が、いつ、どこの、誰に(何に)、どんな影響を与えるのか。
ほんの一瞬でも想像力を働かせることを忘れないよう。
そして数日後、「学生」という防壁のない丸裸の姿で、社会に出ていく。