【ここは東京】旧白洲邸 武相荘に行ってきた

この前読んだ『白洲次郎 占領を背負った男』に感化され、白洲夫妻とその家族が住んでいた武相荘に行ってきた。
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町田市の小田急鶴川駅から、徒歩15分ほどのところにある。
当時は、列車が到着しても乗降者が1,2人しかいないのんびりした田舎駅だったようだが、今は住宅街といった趣。

隣には、ユニクロがどでかい店舗を構えていて、これもまた、農村が開発されたことの象徴のように感じられる。

まず最初に、武相荘の紹介を。
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なるほど。家自体と庭がみどころなよう。
期待期待を高めつつ中へ。

門。
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門ごしに、茅葺きの屋敷を望むことができる。

門の前には、臼を用いたポスト。
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白洲次郎は器用だったそうで、家具等をよく自作していたらしい。
これもその1つだろう。

立派な茅葺き屋根。
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近年葺き替えが行われたそうで、とても綺麗な屋根だった。

この武相荘の母屋、ほとんどの部屋に入ることができる。
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入り口で「武相荘」と書かれた袋に靴を入れ、中に入る。

母屋の玄関は春仕様。
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中は写真撮影が禁止されていたので写真はないが、夫妻のこだわりの品が所狭しと並べていた。
面白いのが、次郎と正子の特徴がよく出ていること。

1つに、次郎手作りの家具や道具が多く展示してあった。竹で作ったランプや正子のために作った家具など、必要なもので作れるものは作っていたようだった。
対照的に正子の所持品は、文化エッセイストとしての顔が出ている。古い皿や着物、奈良時代の勾玉を用いた首飾りまで、歴史的に価値のあるモノが多く置いてあった。


この母屋で一番よかったのは、正子の書斎。
本棚が、5,6個あったかな。その本棚に本がぎっしり詰まっている。
天井が低いので、壁を見ることができず、すべて本に覆われてた。
正子が読書や執筆をしていたであろう机の下は、掘りごたつのように足を下に入れられるようになっている。
なかなか言葉で伝えることは難しいんだけど、狭く本に囲まれた書斎には惚れ惚れしてしまった。


母屋の外に出て、庭を歩いてみる。
ちょうど桜の時期だが、庭に桜はなく、ツツジが綺麗に咲いていた。

決して、「日本庭園」にように作りこまれた庭ではない。
日本式の庭ってある意味スキがなくて自然じゃないから、それは次郎のスタイルとは違う。
生前、次郎は家について「完成することはない。生涯作り続けるんだ」と言っていたとどっかで見た。だから、武相荘はそこまで整った庭ではない。

ただ、生のある庭だと感じた。

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どこからか、鳥の声が聞こえる。
気がゆれる音がする。椿の花が落ちる。
人の手が加わっているとはいっても、無理がない。
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「本来の庭ってそういうものなのかもしれない」とふと思う。
「日本の庭」と言われると、池があって、綺麗に刈り込まれた木々があって、「整然」という言葉が似合う場所のことを指すことが多いのだと思う。
それを否定するわけではない。京都の美しく整えられた庭は、美しいと思うし、日本が世界に誇れる文化だとも思う。

ただ「住む」「暮らす」となると違うのかな、と。「整然」とした庭は必要ない。道楽の域。

「完成はない」から、ずっと作り続けること。
作るとは言っても、作りこみすぎないこと。
そうすれば、自然と生のある庭になるんじゃないのかな。

京都のお寺などで「庭」と言われて、どこか違和感を感じていたのは、それが自分の家にある庭とは違うからだと気づいた。
あれは「アート」で、非日常的なモノ。

一方で、自分の家の庭はアートではない。「暮らし」に寄り添った自然のこと。
武相荘の庭はその意味での庭で、かつ素晴らしいものだった。
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しばらくふらふらとして、帰宅。

天気はよくなかったし満開の桜もなかったが、とても贅沢な日曜日だった。