映画感想:『灼熱の魂』は悲劇ではない


『灼熱の魂』予告

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督はなんて映画を撮るんだ。

観終わった後にはそう感じざるを得ない強烈な作品。


カナダに住む双子ジャンヌ、シモンの母ナワルが亡くなり、公証人が遺言を2人に伝える。
そこに隠された謎(父と兄の行方)、すなわち母の人生を追う、というのが大筋のストーリーだ。



本作は、性別、自身に子どもがいるかどうか、年齢、信条、国、様々な各人のアイデンティティによって、
考えることが異なってくる作品のように思える。

例えば本作は、ナワルの人生がレバノン内戦に沿って描かれているが、
宗教的対立の空虚さ、残酷さは、自身が信じる宗教があるか、それを取り巻く環境によって感じることが変わってくるだろう。

また本作は「母」の話である。
ジャンヌとシモンの生誕に隠された秘密、そこにある母の感情を知ったとき、
心が大きく揺さぶられるのは母である人ではないだろうか。


ナワルの人生だけを見ると悲劇だろう。
内戦に巻き込まれ数十年、静かな幸福が訪れたところでの「辛すぎる現実」。
彼女の思考が停止してしまうのも頷ける。それほど「残酷な現実」なのである。

しかし単純に悲劇で終わらしまってはいけない。
原題は『Incendies(フランス語で火災)』。
彼女が燃やした炎とは何だったのだろうか。


それは「愛情」ではないだろうか。


離れ離れになった息子に再会するも、「残酷な運命」により真っ直ぐな感情を向けることができない。
ただし、彼女は最後に受け入れる。感情を手紙にしたためて、3人の子どもの生を肯定する。
彼女の人生とその肯定(=愛情)が、彼女の燃やした炎だったのではないだろうか。


「現実の肯定」という観点では、現在公開中の『メッセージ』と共通するテーマ性を持ち、
一見重たかったり悲劇調であったりするものの、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の作品は、根底にはポジティブなエネルギーを持っている。